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自分のいのちを何のために使いたいか ~満たされているからこそ・・・

幸せに生き、周りの人の幸せにも貢献したい

死に直面する体験をして以来、

生きること、死ぬこと、幸せとは?自分のいのちを生きるとは?

本当の意味で「生きる」って何だろう?

私は一体何がしたいのか?

 

などということについて毎日のように考えてきました。

 

妊娠中3人目の子を亡くし、私自身も敗血症、DIC、多臓器不全と生死をさまよい生還。その時に感じた強烈な気づき

「どんなに短いいのちだったとしても意味があって生まれてくる」

「身体はなくなっても、その想いやその存在が残された者を通して『生きる』」

「別の形ではあってもそれってやっぱり『生きている』ってことじゃないか」

 

みんな幸せに生きていきたいという当たり前の願いがある。

 

「わたしは自分の人生を生きたい!」

28歳で死に直面し、人生観が変わったわけですが、

それまでも「生きて」はいたんです。

でも本当の意味で生きていたかな、

本当の意味でいのちを燃やして生きていたのかな、と。

身体はもちろん生きていました。

 

しかし「心」は「たましい」は???

部分的には「生きていた」こともあったでしょう。

しかしほとんどの時間を「その瞬間から逃げる」こと

に無意識にうちに費やしていたように思います。

そしてそれは私だけでなく多くの人、ほとんどの人が

意識せずともそうなのだろうと思います。

 

例えば学校では「早く家に帰りたい」

勉強に打ち込んでいるように見えても

「これをこれだけやれば次のテストで3位以内に入れて自慢になる」

というような感情がわき

目の前の友人や勉強に

心から触れ合う、勉強そのものに興味がわくというようなことは

ゼロではありませんでしたがとても少なかったのです。

 

28歳までずっと自分が

「満たされている」

という感覚に乏しかったのだと思います。

今だからこそ振り返って自覚ができていますが

当時は自覚すらできておりません。

 

生きづらかったはずですが、

生きづらいことにすら気づいていないような状態です。

その状態が当たりまえ。

自分に足りないものを埋めようと

努力することが当たり前・・・。

 

ある時期までは

そうやって生きていくることもできましたし、

それなりの満足も得られたかと思います。

 

また突発的な出来事に遭遇した時は

はっきりとした苦しみを感じますが、

それ以外の普段の生き方そのものが

物心ついた時点ですでに生きづらくで

それが自分にとっては当たり前すぎて

生きづらいとも思っていなかったのです。

 

「今ここ」目の前の人、ものごとに心を開くことが難しく、

またその状態がおかしいとも変だとも思わず、

英語の勉強に時間を費やし、

英語ができるというアイデンティティを保つことで

自分の本当の心の奥の奥に抱えているものは

見ないでやってきたのだと今になってわかりました。

 

しかしそうやって

「本心からずれる」

「たましいの望みからずれる行動」を続けていると

やがて人生でも

自身の内面を深く見つめざるような

苦難が起こったり

身体や精神が病気になったりと

「あなた生き方を変えなさいよ」というメッセージが

現象として現れます。

 

 

28歳までの人生では

昨日と今日で人生ががらっと変わってしまうような

出来事、苦難にもいくつか遭遇しました。

そんな中で心の中には

もやもやとしたもの、暗いものがあったのですが

根本から生き方を変えるなどということはなく、

また変えたいなどという気持ちもなく

だましだまし世間には「普通」に見えるように生きてきました。

 

そして28歳の時の体験でがらりと人生観が変わったのです。

「死」に直面させるようなことをしないと

変われないほどに自分のたましいの望みから

ずれた生き方をしていたのかもしれません。

 

 

私は満たされている。もうすでに豊かだったんだ。それを人のために使いたい

3人目の子を死産し、自分も生死をさまよい子宮摘出。

状況は過酷です。

しかし、表面的には過酷に見えても

その奥のたましいの部分、大きないのちをつながっている部分では

すでに満たされていて豊かなのだと実感しました。

 

なくしたものは多いけれど、

持っているものも多いと気が付きました。

人間としての自分は辛く、苦しい・・・

けど、人間存在の奥には別次元の自分がいます。

その次元では、人間の次元でどんな苦難があったとしても

常に平安で大丈夫なんだという気づき。

 

わたしの中にすでに宝はあった!

自分の中にはすでに人に対する優しさや

困っている人、悲しんでいる人に共感できる心があったんだと気が付きました。

それまで勉強に打ち込むことや

周囲に合わせることで封印していましたが

元々小さい時からすでに持っていたものです。

 

人一倍感受性が強く、人の感情を敏感に察知することができます。

これは両親や祖父母、曾祖母などのご先祖から受け継いだものでもあります。

先祖の中には大変な苦しみ悲しみを抱えて生き抜いてきた人が多いです。

これは私だけではなく、生きている人全員に言えることだと思います。

 

少女時代に自分以外の家族全員を亡くし、

途方に暮れる中、

ある家の養女に迎えられて生き抜いた曾祖母。

祖父母はお互いに戦争で大切な家族、伴侶を失っており

似たような境遇に惹かれあったのか再婚同士です。

また母の姉は、戦争で父が亡くなった後

1歳の時に病気で生死をさまよい

脳性まひの障害が残りました。

家族のことを書くとまだまだありますが、

このような困難の中、祖母たちがどんな気持ちで

過ごしていたのかと思うと涙が出てきます。

 

しかしこのような先祖がいることは

のちに生まれてくる家族の人格形成に大きな影響を及ぼし

私にもそれが影響しているのか

感受性の強さや共感力といった

人の気持ち寄り添うことのできる宝となって

今、私の中で亡くなった曾祖母や祖父母が生きています。

そして最も大きなきっかけとなったのは

2007年におなかの中で亡くなった子の存在です。

目に見えない存在ではありますが、

彼らのいのちこれからも私を通して生き続けていくということに

とても深い喜びを感じています。

 

これからはこの受け継いだ力、

素の自分で人と関わって

深いところで人の話を聴くことが無理なく自然にできる力と

自身の苦難を通して自己を見つめることで得た

人に対する洞察力を

もっと人のために使っていきたいと思っています。

 

幼少期から学生時代は生きづらさのためか

自分のこの感受性を抑えこみ、隠し、人前では出さないようにし、

勉強など「頭脳」を使うことばかりに集中していましたが

ようやく元に戻れる気がします。

元の自分、素の自分に還ってもいいと思えるようになりました。

 

以上「自分のいのちを何のために使いたいか」~満たされているからこそ でした。

読んでくださりありがとうございました。
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