2012年に書いた記事を掲載します。読み返してみるとこのころはまだ見えない世界に対して疑う気持ちもちょっとあったようです。
私の背景については右メニューの「生死をさまよった体験」に書いてあります。
以下、2012年執筆記事です。
入院中に神秘体験、覚醒体験(もしかしたら統合失調症の陽性症状のようなものかもしれないが)をし、それまでの価値観、人生観ががらりと変わったということは前にも書いたが、「生と死」を強く感じる状態にあったためか「もう一つの世界」に繋がっている感覚が普段よりも強かった。
というか普段はそのようなあの世やら異次元やら霊の存在は信じているわけではなかった。
そのような精神世界やスピリチュアルに関する読み物を読むのはまあまあ好きだだったが、といっても江原啓之氏の本や、以前紹介した「お母さんとえらぶ赤ちゃん」という本に書かれていることを読み、とりあえず「読むことで今の嫌な気持ちが少し落ち着く。考え方としては面白い。
でも霊の世界とかあの世とか、信じられるわけではない。」と思っていた。
不思議体験を語る人は、嘘を言っているのではなく、「脳の中で幻覚を見たのだろう」と思っていた。
入院中のあの体験から、今はどちらかというと信仰はしているという感じ。
神、あるいはサムシンググレート、異次元・・・・100パーセント信じているわけではなく、今でも「脳の中の現象」なのでは?という思いもあるのだが、それにしては変な偶然が多い。
ということで、やっぱりそのような世界は存在していると思う。
特に大きな危機に直面しているときに、シンクロニシティを多く感じた。
神秘体験の中で、「見ている世界は全て啓示」と感じることがあったのだが、それはふと気になった本の中の文章だったり、友人が言った何気ない一言だったりする。
些細なことなのに、それがどうも気になる、後になっても思い出すというものが多い。
死産後、退院10日後に四国に1泊旅行に行くことになった。
いつも急に予定が決まるのだが、旅行に行くと決めた後に夢を見た。
旅館の部屋でまたあの「神秘体験」「変性意識」になる夢だ。
夢の中で頭がビリビリビリビリして、「また繋がる~」という内容だった。
その後現実の世界で実際に旅行に行った。
ひょっとして本当にまた変性意識状態になるのかなと考えながら部屋に入った。
部屋には掛け軸があり、「想」の文字があった。
「想」という字を見て、なんらかのメッセージかな?とは思ったが、結局その旅行では変性意識にもならずごく普通の旅行を楽しんで帰ってきた。
死産をし、辛さそのものは退院後の方が強く感じるようになったため、泣く日々が多かった。
入院中に見た自分の使命のことも気にはなっていて、人の心を癒すような仕事に尽きたいという想いもあったが、あまりにも辛くて、自分自身の心の支えを求めていた。
インターネットで同じような経験をした方の話を読むことが多くなっていき、3月のある日流産、死産経験者が自分の体験を綴った本「誕生死」という本があることを知った。
流産、死産の内容を扱う本の中でも特にポピュラーなもののようだった。
そのポピュラーな「誕生死」の第2弾として発行された本のタイトルを見て「これだったのか!」と。
その本のタイトルは「想 」
旅館の掛け軸!!
早速その「想 」という本を購入。
262人の流産、死産経験者の想いが詰まった本だった。
第一弾の「誕生死」のアンケートはがきに自分の経験を綴った262人、直筆の文字をそのまま本にしたものだった。
「想」を購入した数週間後に本家の「誕生死」も購入。
本当にいっぱい泣いた。
今では2冊の本を読み返すことも少なくなったが、たまに読み返すとあの頃のことを思い出して泣いてしまう。
同時にあの子が生きたということ、あの子の存在を改めて感じることもできる。
小さくして亡くなった赤ちゃんたちの存在は姿は見えなくても、ちゃんといるんだなと「いのち」を感じた。
シンクロニシティなのか偶然なのかはわからないが、何かの答えを求めていて、異次元あるいは霊の世界からのメッセージが思いもよらぬ形で届くということはあると感じる。
特に人生での大事な場面や危機にあるときはそう感じる。