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赤ちゃんが亡くなってから、自然とやっていたグリーフワーク。

3人目の子を妊娠16週で亡くして18年。

私自身も生死をさまよい、スピリチュアルな次元に繋がる一瞥体験、覚醒体験がありました。

人生観がひっくり返りました。それまで生きてきた中で最も幸せを感じました。

たましいの次元に意識の焦点があったのでしょうね。

人間の世界では「不幸」とされている出来事でも、たましいの次元に繋がると、どんな出来事があっても幸せを感じるようです。

 

しかし、そのような体験があったとしても、赤ちゃんを亡くしたという悲しみは深く、退院してからは毎日泣く日々。

ずっとたましいの次元に繋がっているわけではなく、人間としての自分が戻ってきます。

当時、どのようにして自分の「グリーフワーク」をしていたか思い出してみます。

 

グリーフワーク。私が心を癒した方法

思い出の品を捨てずにとっておいた

エコーの写真、母子手帳、死産後に撮ってもらった写真

ぬいぐるみや服を作った

作りながら泣けてくるのですよね。

赤ちゃんから私宛の手紙
これは自分でふと思いついた方法です。亡くなった赤ちゃんになったつもりで、「ママへ」と自分に手紙を書きました。

頭で考えて書いたのではなく、浮かんでくる言葉をそのまま書き綴りました。

書いたことを忘れた頃に読むと、本当にあの子からメッセージが来たように感じ、不思議と癒されたのを思い出します。

後でわかったのですが、ゲシュタルト療法にも似たような技法がありますね。

上の子たちに絵本を買った「ちいさなちいさなおとうとだったけど」

もうすぐお兄ちゃんになるはずだった男の子。しかし赤ちゃんは亡くなってしまいます。

読む度に涙があふれてきそうになりました。

上の子たちが手紙や絵をかいた

私が言ったわけではなく、本人たちが自主的にやっていました。

当時4歳と5歳でしたが、生まれて2000日も経っていないのに、こんな小さな子でも悲しみがわかるし、優しい心があるということに改めて驚きました。

 

他の人の体験談や本を読んだ。「誕生死」「想」。サイト「ポコズママの会」

当時は分かち合いのような当事者が集まる会はほとんどなく、あったとしても関東。

同じような体験を読み、自分と重ね合わせて泣いていました。

 

生と死、グリーフケア、仏教やキリスト教

深い悲しみを感じると同時に、至福を感じたあの「覚醒体験」もまた忘れることができず、心の支えでもありました。

あの体験は一体何だったのか・・・。

宗教の本やブログ、臨死体験、神の啓示が降りてきた人の話などを調べまくる日々。

 

こんな感じで、最初の2年くらいは毎日毎日、一人の時間を見つけては泣いておりました。

でも、時間が戻ってあの子が生き返ってほしいとは思いませんでした。

 

生まれることができない生き方を選んでやってきたように感じていたからです。

「絶対にこのメッセージを母に渡すんだ」といのちを懸けてやってきたから。

 

この体験で、私は自分自身に対して「私、生きてていいんや」と思えました。

「今までこんなに多くの人に支えてもらって生きてきたんや・・・。」

「こんなに愛されていたなんて知らんかった・・・。」

 

※ここから先はちょっと削除予定で(家族や友人が見たら心配するので)

ブログに書いたことはほとんど無かったと思うのですが、大学時代にもう本当に死んでしまおうかと思ったことがあり。

短期間で色々なことが身に降りかかった結果です。

 

うつ状態でした。数か月間。

自分には生きている価値がない。

何の役にも立ってない。

死にたいけど、自殺するわけにはいかない。

突発的な事故に遭って死んでしまいたい。

 

数か月の間、こんな状態でしたが、徐々に日常生活はできるように。

といっても、気力不足なので毎日アルバイトで働くとかは無理でした。

 

しかも、私、人よりも早く就職活動を始めたのですが、全部落ちているのですよ。

まじめなので人よりも早く始めたのに、ですよ。

 

一応、大学はトップクラスに在籍していて、TOEICのスコアも高く(高校時代に猛勉強したため)、どうして就職が決まらないのか不思議がられました。

ほとんどが筆記試験で落ちてます。

うつ状態だったので、勉強しようとしても全く集中できないのですよね。

 

でも、就活に失敗したからといって、そのことで落ち込むことは無かったように思います。

それすらもう考える余裕が無かったというか・・・。

既に落ち込んでいるので。

 

大学の授業も、せっかくいいクラスに入ったのに、集中したくても集中できずにいくつか単位落としてぎりぎりで卒業でした。

 

本当にしんどい状態だったので、卒業できただけでも「頑張ったね」って自分に言ってあげたいです。

 

その後結婚し、子育てしながら英語の勉強を再開し、講師になりました。

30歳の時にECC法人事業課の英語講師に合格しましたが、倍率は約8倍だそうです。

研修も結構厳しくて、吐きそうになりながら家でデモレッスンの練習してました。

 

そう、元々はちゃんと努力して結果を出せる私なのですよ。

勉強に集中できないこと自体が、私にとっての緊急事態を意味していたのでしょう。

後にも先にもあんなにペースを乱されることは無かったですから。

 

最悪の状態から脱したものの、根本的な心の問題は回復しきっておらず、だましだましやってきたのでした。

 

 

悪い時は本当にどん底を感じ、ちょっと良くなったとしても「低空飛行」。たまに良い時もある、みたいな。

結婚、出産後もそんな感じで、自己否定の念を抱えてだましだましやってきたのです。

 

それが、28歳の時に3人目を亡くし、生死をさまよった際に、オセロの黒がいっぺんに白にひっくり返るように真逆になりました。

「私、生きてていいんや」

大学時代、自分の死を願いましたが、それが数年後の28歳の時に叶いそうになったのですよね。

 

本当に、若い頃は調子が悪かったです。

当時の自分からしたら、今の状態は本当に信じられません。

今はたま~にしんどい時はありますが、基本的に楽観的ですし、気分が軽やかです。

 

しんどいことがあっても「これは一時的なもので時間が経ったら良くなる」と、冷静に判断できるのでとてもらくです。

※ここまで、削除予定です。

 

徐々にたましい視点を意識した生き方ができるようになってきました。

この生き方に出会えたことが、姿はなくてもあの子が私の中で生きているということ。

 

今日もお読みくださりありがとうございました。

 

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