「深い話」の「深い」をどう解釈するかは人によって違う。
自分の言いたいことを正確に伝えるのは本当に難しいな、と時々思います。
例えば、
「あの人と深い話ができた」
という時。
私の場合、「深い話」というと、
・気持ちの部分で相手と交流ができた。
・相手のことも、自分のこともお互いに理解し合えた。
・本音で話せた
ということになります。
ですので、話の内容がどうのこうのよりも、
それまでお互いに打ち明けてこなかった部分を知れた、特に本音を知れたということが、「深い話」と思っています。
心の部分でお互いに繋がれた、共振できた時、心を通わせられた時、「深い」と感じます。
しかし、人によっては話す内容、事象によって、「浅い」「深い」と判断しているようです。
例えば、
・恋愛の話は浅くて、死に関わる話は深い。
・幼稚園時代のいじめの体験の話は浅くて、会社のプロジェクトで何億円もの金額が動く、という話は深い。
・日常生活の中で普通に体験するような話は浅い、世間的にインパクトのある話が深いなど。
内容や事象によって、どれが浅くてどれが深い、というのはその人の物差しで判断してますね。
私はこれには違和感を感じてしまいます。
というのは、人が心に引っかかっていることって、子ども時代の出来事に原因があることが多いのです。
傷が深いにも関わらず、内容としてのインパクトは薄いことも多く、話しても「こんな些細なこと?」と思われがちで、過小評価されがちなのです。
「いつまで昔のことを言ってるの?」などと言われて理解してもらいにくいのですね、ありのままの気持ちよりも、内容や事象の大小で話を解釈する人には。
浅い、深いは内容で比べるのではなく、そのことがその人にとってどれだけ大事なことだったかということ。
それをどれだけ心を開いて話してくれたか、またその思いを受け取ることができたか、ということの気がします。
話す側も聴く側も、会話の前と後では気持ちに大きな変化があったり、揺さぶられたり、相手に対してより一層親しみが増したり。
例えば、会話している二人がいたとして「内容の無い薄っぺらい話だ」と第三者が感じても、当の本人たちは深い心の交流を味わっていたかもしれません。
「AさんはBさんにまた愚痴を言ってる。Bさんも迷惑なら正直に言ってやればいいのに」
と見ていたCさんは思うかもしれませんが、Bさんはそんな風に思っておらず、「Aさんは私に心を開いてくれてるんだな」とむしろ喜んでいることもあるのです。
二人の間でどんな心の交流があったのか、これは当の本人たちにしかわかりません。
今日もお読みくださりありがとうございました。