私が覚醒体験をしたのは、生死をさまよった入院中です。
※詳しくはプロフィール欄からお読みいただけます。
その時に、色々な宗教的、スピリチュアルな気づきが訪れたのですが、
「今ここ、目の前のことに心を開く」
そうするだけで良いのだということもわかりました。
それまではそれが出来ていなかったのですね。
正しさや他人の機嫌を取ることが大事で、取り繕うことを続けた結果、自分の本心を置き去りにしていたのでした。
でも、真実はというと、それも間違っていないのですが
本当は自分にそんなに我慢をさせなくても、
心を開いて正直に気持ちを分かち合うことができれば、それでもう幸せなのだということがわかったのです。
真実はというと、この世は本当は天国だったということなのです。
天国なんだけれども、自分の意識次第で人間界にもなるし、地獄界にもなる。
世界は自分の心が創っていて、
一人ひとりがそれぞれの世界を創り、そこに住んでいるということ。
天国の状態、というのは何が起きても、幸せなのだということ。
病気もあるし、死もある。
けれどそれは不幸ではない。
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そして、ごくごく普通のありふれた日常こそ幸せに満ちていて、それは奇跡なのだと感じました。
1か月近く入院していましたが、
担当の医師の方に
「退院したら何がしたいですか?」と訊かれ
「普通の生活。ご飯作って、子どもらに絵本読んで歌うたって・・・買い物にも行きたい。普通の生活がしたいです。」
と答えました。
これは、3人目の子を同時に死産して、辛いから日常を大切にしたいというのとはちょっと違ったのですね。
3人目の子のことは本当に辛くてたくさん泣いたのですが、それでも同時に幸せを感じたのです。
この時は悲しみだけ見たらどん底でもありましたが、でも同時に幸せのピークでもありました。
なぜなのだろうと考えたら、たましいの次元に心がつながっていたからでしょう。
意識の重心が、普段は3次元にあると思うのですが、
この時は重心がたましい次元と3次元を行き来していたのです。
たましい次元につながると、人間の価値観では「不幸」とされるような出来事があっても、幸せでいられるのですね。
本当に世界が天国のようでしたし、
本当は生まれた時からずっとそうだったのですね。
でも意識の重心がいつのまにか3次元に偏ってしまい、
過去には地獄のような体験もしてきましたし、天国だなんて思ったことは一度もなかったです。
そもそも、死にかけたことだって、それが起きる数年前に自分を殺すような思考を強烈に持っていたことが原因なのです。
肉体の死が目前に迫るところまで行って、業が一気に解消され、ある意味「極」までいったので覚醒体験があったのでしょう。
意識の重心がたましい次元に移行すると、この世が天国だったとわかるのですが、
似たようなことを阿部敏郎さんも書いていらっしゃいます。
阿部敏郎さんによると、古来インドでは人間は7つの層にわたって存在するとされ、肉体、エーテル体、アストラル体、メンタル体、スピリチュアル体、コズミック体、ニルバーナ体(涅槃体)
以下、179ページより。
スピリチュアル体に触れはじめると、あなたの身の回りで「偶然の一致」が増え始め、自分が個としてではなく全体の一部としてこの世に存在しているということを実感します。
あなたには必要なことが起き始め、あなたの願望は速やかに達成されます。
180ページ
スピリチュアル体に目覚めると世界が変わる
スピリチュアル体は、まるで首から上がなくなってしまったかのような感覚です。
見えているもの、聞こえている音が、外からやってくるのではなくて、空間に遍在している自分という見えない身体の振動がそれを作り出しているという感覚です。
鳥が飛べばそれは自分自身が飛んでいて、音が聞こえればそれは自分が音波として振動していて、風が吹けばその風は自分自身です。
そんな状態で富士山を間近で見たときの圧倒的な存在感や、頭上で大きな花火が開いた時のまるで自分の心が大空で花開くような爽快感は、人生で最も甘美な時間でした。
自分と世界との境界線がなくなるわけですが、その感覚こそ真実であり、普段の自分は心理的に凝固したニセの自分だと気づきます。
あらゆるものに命を感じるのも、この状態の時です。
コズミック体に関しては以下、183ページより
すべての過去、未来、すべての出来事が「いまここ」で同時に起きていて、永遠という言葉の意味が初めて理解できます。
それまで自分だと思っていた存在が霧のように消え、自分が全体になります。自分が消えると言うと、ちょっとつまらない気がしますが、実際には全部が自分になってしまうので、それまでよりも、もっと自分を感じます。
でも、その自分は、それまで感じていたのとまったく違うもの。
言うなれば「もっと自分」なのです。
宗教的な知識に触れたり、このような真理に縁ができるということも、
実は自分自身の心の中にその種があるからです。
それがある程度育ってくると、知識として外から自分の中に入ってくるという現象が起きます。
でも、それは実は外から学んでいるようで、自分の中で少しずつ少しずつ、真理に対して開かれていっているということ。
自分の中に元々あるから、外で出会い、真理を知りたい、それを生きたいという潜在的な願いがあるから、
思い込みが外れて、徐々に徐々に宗教的な知識、スピリチュアルな真理が自分の血肉として身についていくのです。
そのプロセスを加速させるのが、瞑想だったり、セラピーだったり、自分を見つめる訓練だったり、あるいは危機的状況に遭い強制的に、ということも。
過去や未来にとらわれず、別のことに意識が行くのではなく、
常に「今ここ」で心を開いて、目の前のことに没頭し、愛ある態度でいられれば、すでにもうそれを生きているというのと同じ。
大きなことを成す人もいれば、ありふれた日常をすごす人もいるでしょう。
世間の価値観でどの生き方が良い悪いというのではなく、内面の状態です。
あらゆる思い込み、ビリーフから解放された時、自分自身=宇宙意識だったと気づくのでしょうね。
それこそ「涅槃」。
この世はすでに天国だったということ。
お読みくださりありがとうございました。