ヨガの教えと人間の意識の段階

人間存在はみな、悟りの達成を目指す存在、仏教でいう「仏」となる存在と言われています。非二元・ノンデュアリティでいうと、私はいない=すべてが私という状態ですね。

どの人間も一進一退しながら、意識が進化していくのだと解釈できます。

ヨガのこの道筋もまたその中の一つですし、仏教でも似たような段階が説かれています。

人間の意識の進化の段階

さまざまな教えの中で言われている人間の意識の進化の段階と、そのような教え云々を抜きにしたとしても、人間として生きていくプロセスそのものが、すでにそうなっています。

もちろん、呼吸法やヨガのポーズなど細かいところはそれぞれその教え特有のものがありますが、大筋の流れとしてはリンクしているのではないかということです。

人間として生きる人生そのものが、ヨガや仏教その他さまざまな宗教で言われているような、人間の意識の成長段階と呼応しています。

密教ヨーガ―タントラヨーガの本質と秘法」p.23から

2 ヨーガの八支則

①ヤーマ(悪いことをしない)

②ニヤーマ(善いことをする)

③アーサナ(姿勢)

④プラナヤーマ(呼吸法)

⑤プラティヤハーラ(制感)

⑥ダラーナ(精神集中)

⑦ディアーナ(瞑想)

⑧サマージ(三昧)

 

さらに、「これらは、五つに大きく分けられます。」とのことで

1 道徳的訓練(心の浄化、調和、安定をうす。)・・・・・・ヤーマ・ニヤーマ

2 身体的訓練(気と血液の循環、神経機能、筋肉の動きをととのえる)・・・・・・アーサナ、プラナヤーマ

3 精神的訓練(意識の内面化、コントロールを通して自我の殻を破るに至る)・・・・・・プラティヤハーラ、ダラーナ

4 霊的訓練(意識を超えた超意識、霊的存在との交渉が達せられる)・・・・・・ディアーナ

5 神霊との合一の境、悟りの達成ー 主客合一の達成・・・・・・サマージ

 

詳細な表現は異なるでしょうが、例えば道徳的に悪いことをしない、というのは基本ですよね。

この本にも「ヤーマ、ニヤーマの道徳的訓練は、主客合一の悟りの境地に達するための、大変重要な準備段階なのです。」とあります。

以下、ヤーマの五つの項目です。簡単に抜粋してあります。

(1)非暴力

暴力をふるって人や生き物を傷つけることは、たいてい、憎しみ、征服欲などの感情、欲望をコントロールできないときです。また、暴力をふるった後、いつまでも自責や後悔の思いが無意識のうちに残って、心の安定を失わせます。

(2)正直

常に誠実であること、嘘をいわないことも、平和な社会の維持はもちろん、安定した平和な心を保つ上に重要です。

(3)不盗

人のものを盗まない。

(4)禁欲

一定期間、異性と性的交渉をもたないことです。

(5)不貪

物事に対して、貪りの心をもたないことです。

ニヤーマの五つの項目

(1)清浄

心身を清浄に保つこと。

(2)知足

「足るを知る」こと。

(3)苦行

断食をしたり、水の行をしたりすること。

(4)読誦

聖典、マントラ(真言)、聖音(神、神聖を音であらわしたもの)を唱えること

(5)自在神への祈念

この自在神へというのは、最高絶対の紙ではなく、人格的神霊とでもいうべきもので、私たちの真実の実在であり主体であるプルシャと、本質的には同じものをいえます。

 

いわゆる「普通の人間の段階」とヤーマ・ニヤーマの段階が呼応している

最近では意識の目覚めが加速されていますが、それでもほとんどの人の人生の段階というのは、このヤーマ・ニヤーマの段階ではないかと思います。欠乏意識が元になっている段階で、「よりよく」「もっと良い物を」という意識状態ですね。

技術革新や医療の進歩などはまさにこの自我の力のおかげでもあります。

1 道徳的訓練(心の浄化、調和、安定をうす。)・・・・・・ヤーマ・ニヤーマは、自我の力で自分を律する段階ではないでしょうか。

道徳的訓練は、他の訓練(身体的訓練や、精神集中、瞑想など)のように特別にそのために時間を割いて行うのではなく、日常生活に組みこまれており、生活そのものが訓練の場であると言えましょう。

人間、生まれてきて成長していく過程で自我が確立されます。本来の自分を生きるという段階では、自我は本来の自己の「道具」として働くわけですが、本来の自己が表出されるためにはまずは自我の確立が先になります。

道徳というのは、二元の世界のルールであり、何が正しくて何が正しくないかという決まりや規範、社会の常識などになります。

ですから、そのルールと自分の本心が合っている場合もあれば、本心では不本意なのにルールだからしぶしぶ従うという場合もありますね。

そのような場合は、自我の力でそのルールを守ろうと努力します。

1の道徳的訓練(ヤーマ・ニヤーマ)に続き、

2 身体的訓練(気と血液の循環、神経機能、筋肉の動きをととのえる)・・・・・・アーサナ、プラナヤーマ

3 精神的訓練(意識の内面化、コントロールを通して自我の殻を破るに至る)・・・・・・プラティヤハーラ、ダラーナ

4 霊的訓練(意識を超えた超意識、霊的存在との交渉が達せられる)・・・・・・ディアーナ

5 神霊との合一の境、悟りの達成ー 主客合一の達成・・・・・・サマージ

というプロセスになっていますが、意識の目覚めが進んでいる人たちの内観のプロセスそのものがまさに同じような感じになっているのではないでしょうか。

2の身体的訓練をやっている人は少ないと感じるかもしれませんが、ヨガやピラティスの人口も増えていることを考えればリンクしているように思えます。

内観や内省など、自分とは?人生とは?死んだらどうなるのか?なぜ生きるのか?など、スピリチュアルな問いと抱く人も増えていて、それが3の精神的訓練に相当するのではないかと感じます。

ヨガでいうと「精神集中・ダラーナ」の段階であり、呼吸やある対象に精神を集中する「瞑想の一歩手前」の訓練になります。

人生のプロセスでは「精神集中」という形を取らずとも、自然と自分の内側に意識が向くことで、過去の痛みに向き合ったり、自分の偏った考えに気が付いたりということが起こります。

ある考えにとらわれてしんどく感じていたのが、ふとした気づきによって、らくになることもあります。

自分の内面に向き合い、自分を縛っていた思い込みを解放していくのがこの段階ではないでしょうか。自分という枠・自我の縛りから自由になっていく段階です。

4の霊的訓練というのは瞑想・ディアーナのことですね。

精神集中が進んでくると、一瞬自分がいなくなり、集中している対象と一致する瞬間が出てきます。

それが徐々に長くなり、わいてくる思考を一歩後ろから見ている意識の存在を感じるようになります。

一歩後ろの意識でいる瞬間も増えてきます。

自分の思考や感情に巻き込まれずにいられる状態です。

人生に置き換えると、本当に相手の立場になって、自分の利益のためではなく、相手のために最善を行おうと自然と思える境地です。

自我でどうにかしようと頑張るのではなく、自然と利他行為ができる状態でしょう。

5は三昧・サマージであり、自分と世界が一体化したような感覚でしょうか。

自分がいなくなり、行為だけがあるという状態です。

最近では意識の覚醒した人が非二元・ノンデュアリティなどと言っていますが、自分がいなくなり、ただ行為そのものが起こっているという状態でしょう。

まとめると

1.自我を確立させ、自我の努力を必要とする段階。欠乏動機が支えになっている。色々なものを獲得していく段階。

2.自己を見つめ、確立させた自我や思い込みを解放し、自己の本質を顕現化させる段階。

3.本来の自己で生き、自我がその道具として働く段階。自然と利他行為ができる段階で、自利=利他となる。

4.自己も他者もいなくなりただ行為だけ、ただありのままの世界があるだけの悟りの段階。自分がいなくなるのと同時にすべてが自分となる。

となります。

チャクラの開発と意識の進化段階ともリンクしていますね。

チャクラについてはまたの機会に。

読んでくださりありがとうございました。

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