生まれた時に仮死状態だったり、医療介入を受けたりと
大変な体験をした人たちが
人生のある地点でそれをまた再現するかのように
大病にかかって生死をさまよったり、大きな出来事を体験することが多いと感じたことがあります。
出生体験そのものがその後の人生を象徴するようになってはいないかと。
出生時、心に大きな傷を受けることを「バーストラウマ」と言って
確かにそのような考えがあることがわかりました。
受精した時点でカルマ(業)を抱えている
生まれる前の世界や
過去生はあるのかないのかという話になってきますが
あると言えばある、ないと言えばない。
どの次元に視点を置くかで「ある」としたり「ない」としたり。
これはあの世があるのか、幽霊はいるのかということや、
究極的には高次元から見ると自分という人間も本当は存在せず、他人も存在しないということになります。
この世次元から物事をみると自分も他人も「いる」ことになり、それが当たり前ということになります。
次元について
3次元:肉体・エーテル体 顕在意識(五官、六識)
4次元:アストラル体 潜在意識 (末那識、七識)
5次元:コーザル体 個人無意識 (阿頼耶識、八識)
6次元以上:スピリチュアル体(ブッディ体)集合無意識 (阿頼耶識、八識・あまら識、九識)
※はっきりと「ここが境目」と分割できるわけではないので、重なっているところがあります。
輪廻転生は3次元から肉体を脱ぎ捨て4次元、5次元に行き、
また5次元から3次元に生まれてくることを言います。
生まれる前の記憶とか、中間生の記憶とか言われているのは
5次元にいるときに人生計画を立てていたという話や
雲の上からお母さんを選んだという話だったりします。
5次元に戻れば複数の過去生のことを思い出すと言われています。
6次元以上の世界に行く場合は「個」の意識ではなく全体意識・宇宙意識となり
「個」として存在しているのが5次元、4次元、3次元ということです。
上の図でいうと、右端の紙面からはみ出した部分になります。
ですから5次元の視点から見ると過去生は「ある」
6次元以上になるとそのような「個」の概念は無くなって
存在すべてが自分、全体となるので過去生は「ない」と言えます。
他人と自分の境も薄れているのでワンネスを感じるのもこの次元です。
ということで過去生の問題は「個」なので
その人の「パーソナリティ」の問題として考えることができます。
生まれてから(受精してから)現在までが人の人生ですが
人によっては過去生の記憶があったり、
なんらかのきっかけで「リアルなもの」として思い出すこともあります。
そして過去生はその人のパーソナリティに多少なりとも影響していますし、
今現在抱えている心の問題を過去生に投影するという時系列が逆になるようなことも起こっているのではと思います。
あの世視点からみると時間は存在せず、過去も未来も「今」にしか存在しないので。
受精した時点ですでにいろんなものを抱えているということになります。
そのいろんなものをカルマ、業といいますが
「正のカルマ」「負のカルマ」があるとすると、
例えば「負のカルマ」は「心の傷」ということもできます。
受精し子宮の中で成長していくわけですが
すでに正のカルマ、負のカルマの両方を抱えているわけです。
そしてそのカルマは妊娠中から現象化します。
受精・妊娠・出産はその後の人生を象徴しているかもしれない
受精から赤ちゃんとして生まれるまでに
カルマは現象化しますが、
その現象化のしかたとその後の人生はリンクしているようです。
妊娠中から出産のプロセスをその後の人生でなぞるというわけです。
受精から妊娠期間、出産までの赤ちゃんの感情体験が
その後の人生に大きく影響します。
バーストラウマ
バーストラウマとは、妊娠中から出産時に負った心の傷のことです。
特にどのようなお産でどのような感情体験をしたのかとうことが
その後の育てられ方や人生全般に関わってきます。
出産はお母さんにとってはもちろん
生まれてくる赤ちゃんも命がけです。
赤ちゃんにとってはそれまで安心して過ごせた子宮から
未知の世界である外界に
肉体の苦しみを伴い、苦しみながら出てきます。
赤ちゃん自身も頑張って産道を通り抜けて生まれてくるのですが
この時の達成感やお母さんに抱かれたぬくもり、愛情を十分に感じると
その後の人生においても困難なことがあっても
自分の力で道を切り開いていける、
また他者に対して基本的な信頼感や安心を抱くことができるようです。
出産がとても過酷だった場合、
肉体の苦しみを伴いながら出てきます。
赤ちゃん自身も頑張って産道を通り抜けて生まれてくるのですが、身体の痛みと苦しさ、死の恐怖を感じながら生まれてくるようです。
実際に医療的な介入が取られるということもあります。
赤ちゃんの心にも大きな傷がつきます。
その傷がその後十分癒されれば問題はないようですが
出産後お母さんと離されたことで寂しい思いを抱き、それが癒されない場合は
他人に対しての無力感や生きづらさにつながってしまうようです。
学童期や大人になってからの原因不明の不調や生きづらさの一因が
バーストラウマにあるということも稀ではありません。
赤ちゃんの時点で「傷」がある。それは「癒されたくて」「浄化されたくて」現象化する>
卵が先か鶏が先かという話になってきます。
親の育て方が影響して今の自分がある、
親に言われ続けたあの事がいつまで経っても忘れられず大人になってからも行動に影響するということも事実です。
逆に、親の育て方は全く関係ないと見ることもできます。
※この考えにとらわれすぎると、実際のケアの現場で親に対する怒りや恨みなどがあっても自分の気持ちを抑圧してしまうので注意。
赤ちゃん、子どもである自分の中にすでに
「種」つまり「心の傷」「執着」のようなものがすでにある。
赤ちゃんの時点では、自我がまだ発達していないので、「今ここ」を生きています。
自我が発達するにつれ、「今ここ」からだんだんと「自我」が芽生え外の世界と分離します。
浄化される、癒されるためには外の世界に現象化しないと
自分で持っている種がどんな風なのか自分でもわからない。
お父さん、お母さんから傷つくようなことを言われた
幼稚園、小学校時代先生から「こういうところを直してもっと〇〇になりなさい」と言われた。
そこで多くの場合は「そのままの自分ではダメ」と自己否定してしまいます。
「そのままの自分ではだめ」という種
自分を責めてしまうという種が発芽したということです。
お父さん、お母さん、先生はもちろん無意識ですが
「現象化」という視点から見ると
種を発芽させるために傷つけるようなことを無意識レベルで言ったということになります。
人間の世界から見ると「育て方が悪い」と判断されてしまうようなことでも
高次の世界から見ると、子どもにとって必要な関りだったということになります。
種が発芽した時点、つまり傷ついた体験をし、その後で癒されればそれは「解消した」ということになります。
(しかし、なかなかそうはいかないのがこの世界・・・。どうしてなのか。
発芽した時点で浄化されればそれで済むのに、多くの場合そうではないのはなぜなのか・・・。人間の頭で考えても正直ほとんどわからない、説明もできないです。)
ただ一つ言えることはこの世に生きている人間の言動はすべてコンピュータ以上に正確で寸分の狂いもないということ。
自分の言動や他人の言動、さらには抱く感情でさえ、自分がそれをコントロールしていると実感があるでしょうが、本当は何一つ自分ではやっていないのかもしれません。
トラウマや心の傷、危機的状況はスピリチュアリティの覚醒・発露のきっかけになる
出生の時点で仮死状態だったり、医療措置を取られたということが
バーストラウマになるということでしたが、
トラウマや心の傷、グリーフ(悲嘆)、葛藤というのは多くの場合
人生や自分についての深い洞察をもたらしてくれるものでもあります。
スピリチュアリティの覚醒した人、
スピリチュアリティが発露した人というのは
出生時に大変なバーストラウマを抱えて生まれてきたような人が多いという印象もあります。
※あくまで個人的な印象です。
バーストラウマに限らずですが、自分にとっての苦難は
おおいなるいのち、神や仏といった次元につながる扉を開くきっかけになるのでしょう。
参考文献
胎児は見ている―最新医学が証した神秘の胎内生活 (ノン・ポシェット)
脳を超えて
トランスパーソナル・セラピー入門
胎内記憶―命の起源にトラウマが潜んでいる (角川SSC新書)
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