ケアをする側とケアをされる側。
委ねることの難しさについてふと、思ったこと。
私自身、英語講師から始まり、グリーフケアのカウンセラーや遺族会のファシリテーター、介護職など対人援助職としてケアを提供する側の経験の方が圧倒的に多い。
入院体験など、患者としてケアをされる体験や、グリーフケアの訓練の中でケアをされる経験はあるものの、少ない。
しかし、少ないけれども濃く深い体験をしてきたと思う。
学生時代の生徒として授業を受けるという体験も広義の意味で「ケアを受けること」ととらえればそれも経験の中に含まれるだろうか。
安心してケアを受けるには、「怖い」とか「痛かったらどうしよう」とか「イヤな思いをするのではないだろうか」
などの不安を軽減することが重要。
私自身、幼少期から痛みに敏感で、例えば絆創膏や湿布をはがす際など、痛みを感じないようゆっくりゆっくり慎重にはがすタイプ。
しかしうちの母もそうだが、看護師さんなどの中にはいきなりべりっとはがす人もいたり、その都度「痛っ!!」と声を上げることになる。
歯磨きも、母に磨いてもらうと痛いことが多く、父の時は痛くなかった。頭を洗ってもらうのも同じ。
「抜歯が痛かったらどうしよう」という不安から歯医者に行くのが怖くて、約10年間も親知らずの痛みに耐えたこともある。
20代前半から下の親知らずが炎症を起こすようになり、妊娠中も痛みで苦しみ、その後もたびたび炎症を繰り返したが、抜歯をしたのは30歳の頃である。
私自身がそうであるように、患者さんや介護が必要な方にとって、動きが雑な人に看護や介護などをしてもらうのは不安だろうなと思う。
以前グループホームで働いていたが、動作が雑でいつもせかせかしている職員がいた。
急に腰痛を発症した男性(圧迫骨折していたと後で分かった)をその人のペースを考えずに無理に起こそうとしたことがあった。
その男性は痛みで大声を上げたが、職員はわざと痛みを感じさせようとしたのではもちろんない。
しかし、相手の気持ちや状況を汲み取り、判断するという感性が欠けているのだ。
ケアを提供する側として、また受ける側としての体験から、「委ねることの大切さと難しさ」。
まず、ケアする側が「委ねる」とは一体何を委ねるのか?
- 相手が良くなっていく力は相手自身にすでにあるということへの信頼
- ケアの際の自身の言動が、本当に相手のためになっているかどうか。毎瞬毎瞬の自身の選択への信頼
- 間違ったケアをしてしまった際、それに気づき、同じ間違いを繰り返さないことへの信頼
- チームで動く際、他のメンバーへの信頼
一方でケアを受ける側が「委ねる」とは
- このケア提供者には安心して身を任せられるという信頼
- 自分は良くなる方向に進んでいるんだという信頼
- ケアの過程で自分にとって都合の悪いことが起きるかもしれないが、それもまた一時的なもので通過点であるという信頼
こういうことかな、と思う。
今日は短めですが以上です。
お読みくださりありがとうございました。

