強制的に委ねざるを得なかった体験
今回は「委ねる」ことについて、自分の体験を振り返ってみようと思います。
「委ねる」についてはよく願望実現を願う際に、欲しい未来を意図したら、自分であれこれコントロールするのをやめて「委ねる」とうまくいくという内容で語られることが多いですね。
もちろん、自分でできることは全力を尽くすんですけど、それによってどんな結果になるかを委ねるのですね。
自分の力で状況を変えようと頑張るのをやめると、宇宙の力が働き、望んでいた状況以上のものがもたらされると言われます。
他、例えばスピリチュアルケアで言われているのは、何か大きな悩みや苦しみを抱えている時に、一体どうすればいいのかと考えて考えて考えて、悩んで悩んで悩んで、答えを見つけようとするのをやめた時に、ふと、気づきが訪れて変容が起きる、価値観のどんでん返しが起きるとも。
「手放したらうまくいくんだな」
「自分でコントロールするのをやめたら飛躍するんだな」
と知識のある場合は理解できるのでしょうが、それを知っていることでむしろ「委ねるフリ」をしてしまうこともあるでしょう。
「もう自分ではどうしようもないから委ねることにした」と頭で思っているだけなのと、
本当にお手上げ状態で「ああ、もう本当に自分には何もできることなんてないんだな」と納得している状態は異なります。
私の場合どうだったかなと振り返ると、若い頃は委ねることなんてほとんどできずにいました。
願望といえば何か欲しいものがあったり、英語の資格試験に合格したいだったり、色々と願望はありました。
でも常に考えているのは「結果のこと」ばかり。
当たり前といえば当たり前ですが、委ねるなどという発想自体全くありませんでした。
「ああ、あれが委ねるということだったのか」と意識したのが、このブログにもしょっちゅう書いているあの28歳の時の体験です。
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以下は救急搬送され、ICUに入った際
これから何が起こるのか全くわからず、
帝王切開で上の子たちを産んだのですが
その体験の記憶から
おそらくまた手術かなという思いがよぎりました。
自分の呼吸ではないため、
浅い息しかできず、
コントロールが効かずにものすごく苦しい。
さらに目も半開きにも関わらず
まぶたを閉じることもできない。
つま先、手の指も全く動かない。
おそらく血圧を上げる薬の影響か
意識が昼間よりもはっきりしていた。
「このまま麻酔が効かないまま手術されたらどうしよう。」
「今おなか切られて痛くても叫ぶことすらできんのか。」
「苦しい・・・苦しすぎる・・・」
「呼吸器が止まったら確実に死ぬ。」
「まな板の上の鯉やな。
もうどうすることもできん。
神様!!!」
この時、40度の発熱からすでに4日経っていて、感染症が悪化し敗血症、DIC、多臓器不全という身体はすでに限界状態。
3人目の子を死産し、子宮から多量に出血もありました。
人工呼吸器を付けられ、自分で呼吸ができないことがこんなに苦しいのかと知り。
さらに筋弛緩剤か何かの影響で体が金縛りのように全く動かせずにいました。
自分の身体はここにあるのに、指一本動かせないし、半開きのまぶたを閉じることもできない。
声を出すことはおろか呼吸すら自分でできない。
何か伝えたいこと、例えば痛みなどがあったとしても本当に何もできない状態。
しかも、人工呼吸器のリズムが普段よりも浅くしか呼吸ができずにずっと苦しいのです。
この時に初めて、「委ねる」というか「委ねざるを得ない状況」に陥ったのでしょうね。
自分にできることは何もない。
物理的に、呼吸も自分でできない、体も動かせない状況。
その後薬が効いてきたのか意識が無くなり、目が覚めたのは数日後でした。
この半ば強制的に委ねざるを得なかった体験、自我を手放した体験が、後のいわゆる宗教的体験、一瞥体験と呼ばれる状態をもたらしたのだと、理解できるようになったのは何年も後になってです。
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スピリチュアルな次元に繋がり、数日間に渡って深い気づきを得ることに。
生死をさまようことも、このような気づきを得られることも、全く予想しておらず、本当に突然人生観がひっくりかえりました。
この体験により、それまで肉体は生きていたかもしれないけれど、本当の意味で生きていなかったという気づき。
でもずっと、周りに愛されて生きてきたんだなとわかった。
あと少し遅かったら確実に死んでいたと言われ、本当にギリギリで助かったのですが、やっと「生まれた」ように思いました。
「委ねる」という場合、神さまや宇宙を信頼して「委ねる」というか。
「もうそれしかない」みたいになりました。
生死の危機という極限での体験だったため、その後の宗教的体験がもたらされたのでしょうね。
お読みくださりありがとうございました。