結婚後、いまいち満たされない、モヤモヤを感じることがあった。
「女性として扱って欲しい」という思いが満たされなかったからだ。
妻として、母として、結構ちゃんとやってきたし、夫の実家の法事や義母も介護などもやってきた。
妻として、母として、ではなく女として接してほしいという気持ち。
妻や母は「役割」。
夫の私に対する言動は、本人は無意識だろうが、
妻として母として恥ずかしくないこと、親戚に迷惑をかけないこと、白い目で見られないこと、を優先していた。
私の気持ちよりも。
そんなことは言われなくてもちゃん振る舞うのだが、その前に夫の「想像」で注意されるとげんなりする。
もう18年19年ほど前のことだが、夫の知人が海外で結婚式をする予定だが、出席するかどうするかという話があった。
海外なんてめったに行けないので嬉しくなり、「行った先でブランドのバッグを買いたい」と言ったら
「義姉さんとかの前であれ買いたいこれ買いたい言うてはしゃぐなよ」と。
私の欲しいものを買ってくれたことはその当時無く、はしゃいだ姿を見せたこともないのにそう言われた。
ちなみに海外に行くことは無しになり、行っていない。
「そのセリフは私にもっと高い物を買う体験を重ねて、嫌気がさしてから言うセリフではないのか」
「この先何回海外に行けるかもわからんのに。一生に何回行けるかどうかの海外で1個か2個の買いたいものすら買えんのか」
「なぜそこで義姉さんが出てくるのか。私が誰か他の人の気持ちを無視して自分だけ嬉しがったりすることはないのに」
と暗い気持ちになり。
心に突き刺さり、根に持っていた私は、2007年に生死をさまよった入院中に、この時のことについて夫と向き合った。
夫は私に謝ることになった。
妻として母としてというよりも、女性としての自分を生きたい。
子育てが終わろうとしている今、こんな気持ちになることも多いが、はたと気づいた。
「私、もう恋愛はイヤ」って思ったよね20歳の時に。
その時は恋愛よりも結婚に焦点が当たってたよね。
女性としてよりも「妻として」「母として」という願いが叶ってるやん、結局。
そんな願いを抱いていたことすら、ずっと忘れていた。
自分から捨ててたんやんか~。
自作自演をやっていたのね。
もちろん、心の奥深くの本当の本当の本当の本音は「女性として大切にされたい」があったけど、意識の上では結婚に興味があった。
本心本音を生きたいけれど、心の傷があると直視できず、心の抵抗が取れてからやっとそれを感じられるようになるのですね~。
今日もお読みくださりありがとうございました。