生死をさまよい変わったこと。自分の中の優しさを大事にできるようになった

人間、大きな体験をすると人生観や生き方が変わってしまうということが多々起こります。

自分の殻が破れて積極的・活動的になったり、あるいはその逆、体験があまりに辛い場合は自分の殻に閉じこもってしまい、以前とは別人のように引きこもってしまうということもあるでしょう。

私自身も、色々な体験をし、その都度色々な自分に出会ってきました。

私にとって最も大きかった体験はやはり生死をさまよったこと。

以来、それまでは恥ずかしいからとか、こんな自分が人に優しくしても対して喜んでもらえない、などという不安や恐れが先行してしまい、人に伝えたい感謝や慕う気持ちがあっても言えない性格でした。

そんな私に起こった大きな変化は・・・・

人に感謝の気持ちを伝えられるようになった

「生死をさまよった体験」に書いてある通り、2007年に生命の危機を体験しています。

身体的にも精神的にも私にとって危機的な状況でしたが、その体験から、それまで気が付かなったけれど、いかに多くの人から支えられ、愛されて生きてきたのかということが身にしみてわかりました。

それまでは頭で理解していた感覚に過ぎませんでしたが、心の底から実感として感じられる体験で、人生観がひっくり返ってしまいました。

以来、自分のことも他人のことも大事にしようと心から思えるようになったのです。

命は有限だから今伝えたいことがあったら伝えようと思い、それが実行できるようになりました。

「愛があれば伝える」「愛を与える」

私の中でこれは大事にしていこうと思ったことでもあります。

もしかすると他の人は当たり前に日頃から行っていることかもしれませんが、人に感謝の気持ちを伝えるということもこれにあたります。

入院中にお世話になった先生方、助産師さんたちに感謝の手紙を書きました。

こういったことはそれまでほとんどやったことがなく、上の子二人を出産した際なども、病院のスタッフの方々にはお世話になっていて心の中では感謝の気持ちを強くかんじていたものの、それを手紙にして伝えるという発想もありませんでした。

むしろわきあがった感謝の気持ちを「感覚が敏感になっているからだ。これは一時的に高揚しているだけ。元の冷静な自分に戻る」と、あえて避けるようにしていたかもしれません。

誰かに対して感謝の気持ちや好意的な気持ちを抱いていたとしても、自分の中であまり感じないようにしていた傾向があります。

病院でお世話になった先生や助産師さんには、直後に手紙を書いたほか、そのあとも何度か感謝の気持ちを伝えています。

また英語講師時代の上司にも、はじめての研修で感銘を受けた際にやはり手紙で思いを伝えましたし、グリーフケア関係でお世話になった先生にも感謝の手紙をお渡ししました。

他、夫や子どもたちには2,3年に一度のペースかもしれませんが手紙で愛情を伝えるようにしています。

身内といっても手紙を書く際は気持ちを落ち着かせ本心が伝わるよう心を込めますし、年月が経って読んだときにも勇気が得られるような、自分に自信を取り戻せるような、愛が感じられるような内容になるように書いているつもりです。

ネットの時代にあえて手書きで手紙を書くというのはエネルギーのいることですし、読むほうにとってもエネルギーのいることだとわかっているので、その人のおかげで、私の中で何かが変わったときや、生きていく力が得られたなど、よっぽどのことが起こった時ということになります。ですからしょっちゅう書いているわけではなく、普段のちょっとした感謝であれば手紙ではなく「カード」にひと言ふた言添えるといった程度です。

手紙を書いてまで感謝を伝えるというのは私の中でもよっぽどのことではあります。

困っている人に親切にできるようになった

以前は誰か知り合いが困っていたとしてもそのことに触れていいのかどうか遠慮して、結局何もできずにいたことが多かったです。

しかし、一歩踏み込めるようになったと自分で思います。

触れないように、腫れものに触るようにしていたのは、結局自分が傷つきたくなかったからということにも気が付きました。

行動を起こすことで逆に相手を怒らせるかもしれないし、喜んでもらえるとは限りません。

それでも、結果を気にして何もしないということもまた、自分が傷つきたくないというエゴです。

また自分が喜ばれたいからという自分本位の気持ちは、愛のように見えて実は相手からエネルギーを奪う行為でもあります。見極めが難しいのですが、自分本位の気持ちで人に親切にしても、やはりどこかで相手に伝わってしまい、相手にとって負担になってしまうことが多いです。

でもその時はその時。人間なので全てを純粋な愛からの行動に変えるなんてのは無理。

自分の思うようにやった結果、相手や自分が傷ついてしまったのなら仕方のないこと。本当に大事な関係であれば後でフォローすることも可能です。

思考ではなく、「やった方が心地よい」「やらない方が心地よい」という心の声に従うように行動が変わりました。

10年以上も前になりますが、夫の会社の従業員の家が火事になったと、朝方まだ寝ているときに夫に電話がかかってきました。

まだ布団の中でぼ~っとして聴いていましたが、従業員の方が火事に遭ったという内容です。どうやらその従業員と同居のお母さまは無事とのこと。

しかし家は全焼したという内容が聞こえてきました。

朝だったので子供たちを幼稚園に送り出すことに忙しく、ばたばたと時間が過ぎ、その日の午後は幼稚園で還付金が手渡されるという日でもあったので、還付金をもらいに行きました。

従業員の方の家が火事にあったということはすっかり忘れていたのですが、還付金をもらっているときに、「そういえば今朝・・・」と思い出しました。

それまでの私であれば、還付金はすべて生活費に回したのでしょうが、入院中に人生観が全く変わってしまったということがあるので、還付金から5万円をその従業員の方のお見舞いとして渡そうを決めました。

また、なにもかもが燃えたと聞いたので服も何もかも燃えたのではと想像しました。

従業員の方とお母さまの部屋着などを買い、お見舞い金と一緒に夫に会社に持って行って渡してくれるように頼みました。

行動を起こしたものの内心「こんなことをやるのは失礼にあたるのではないか」という不安もありましたが、内面から湧き上がる「直感」でそのような行動を起こしたということが自分でもわかったので、気になりつつも少しでもその方の役に立てばという気持ちでした。

数日後、その方から大変丁寧にお礼を言われました。

お見舞金も助かるけれど、それよりも服を用意してくれた気持ちがとても嬉しかったと感謝されました。

その後その方はお辞めになられましたが、この一件で私自身も自分の感覚への信頼感が強まりましたし、人に親切にしていいんだということがわかりました。

人に親切にしていいんだというのは変な表現ですが、それまでの私は人に対して親切にしたくても照れる気もちがあったりしてなかなか行動できなかったのです。

感謝の気持ちを伝えたくても、自分で打ち消してしまったり、人に対して優しい気持ちを抱いていても、恥ずかしいので隠してばれないようにすることも多かったです。

しかし、死というものに直面し、私を含め今のその姿で生きているということが有限であるということ、いずれみんな死ぬということがリアルなものとして迫ってきたため、伝えたいことがあったら今伝えないと明日は来ないかもしれないと、思うようになり、行動も変わりました。

 

以上、「生死をさまよって変わったこと。自分の中の優しさを大事にできるようになった」でした。

「自分の中の優しさ」はこれも家族からの愛情だったり、友人や先生方の温かいまなざしであったり、今まで関わって来た方や亡くなった人たちからもらったものであったりと、そういった関係性の中で培われたものでもあります。

誰かに対して優しく温かい気持ちを抱けるということ自体が実は貴重でもあり、豊かなことなのだと思います。

・・・といってもいつも優しい気持ちでいられるわけではないのが人間ということでもあります。普通ですね。

読んでくださりありがとうございます。

 

 

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