毎回この研修で大きな気づきを得ております。心の深い所で交流できる仲間との出会いに感謝しています。
うまくまとまってないですが、書いたまま載せます。
なお、研修の内容については守秘義務があるため伏せております。あくまで私自身の個人的な内容になります。
話を聴いてもらった体験
初めて話を聴いてもらう体験は2007年、ある医療者の方との関り。
それまでも家族や友達ともちろん話はしていましたし、
聴いてもらっているつもりではいました。
友達には本当に助けられたと思います。
育ってきた環境は残念ながらあんまりでしょうか。
特に辛いことや悲しいことはなかなか・・・。
気づき
私はおかあさんになりたかったんだという気づき。
そんなことを思っているなんて自分でも知らなかった。
子どもの頃からすっと「おかあさん」をやってきた。
家事をやりたいということではなく、
「待つ」「じっと話を聴く」ということをやってきた。
まさに子どもの力を信じて待つ、子どもの気持ちに寄り添う、共感するという態度。
今、実際に二人の子どもたちのおかあさんをやっている。
ずっと同じことをやってきたし、今も同じなんだ。
今の状態がもともと望んでいたものだった。
これで良かったんだという気づき。
一方怒りもある。
私の話をじっと待って聴いてくれる人がいなかった。
それが悲嘆。
誰も話を聴いてくれない。
わたしがなにか話すと、
「でも」とか「こういう考え方もある」、とか、「相手の子はこう思ったんじゃないか」とか
正論のようなことを言われる。
逆に私がそう言った相手のその気持ちに寄り添うことになる。
私のことを思って言ってくれているのはわかる。
その思いは嬉しいが、私の気持ちは誰もわかってくれない。
どうしていつも逆をやっているのか。
私は子どもでありながら「おかあさん」だったのだ。
私以上に繊細な感性の人が周りに今までいなかった。
相手の態度によって言えたり言えなかったり
自分の気持ちを伝えたくても、相手の状況や気持ちに敏感に反応。
今このことを言っても大丈夫かどうか、相手に聴く耳があるかどうかがわかってしまう。
言おうと思っていることも、相手の心の状態をみていると言えなくなる。
私の心を受け取ってくれるのかどうかがわかってしまう。それでも伝えるときはあるのだけど。
どうしても伝えたいという時は手紙やメールを使うことが多かった。
自分のコミュニケーションパターンへの気づき
普段、自分としては本当はゆっくりじっくり話したい、聴いてもらいたいの。
しかし途中で口を挟まれたり、相手の人の話題に持っていかれる。
言いたいことがほとんど言えないままになって不満が溜まる。
結果、ゆっくり間をとって話すことが難しくなる。
じっくり詳細な説明をしたくても、途中で口を挟まれたり、話題を持っていかれることにまたなるのではと思う。わかったような「答え」を言われていやになることもある。
「答え」は合っていたとしても、関係性によっては「言われること自体がいや」に感じる。
先取りされたくない。グループワークではじっくり話を聴いてもらえることのありがたさを感じる。夫は話を聴かない人の典型で、私の話はほとんど毎回夫の話にすり替わっている。我慢ばかり。
だから「言いたいメッセージ」を抽出して話すことになる。そのメッセージと心が一致していればいいが、焦る気持ちから情報を伝える「報告」のようになってしまうことがある。
数年前までは特にその傾向が強かった。伝える内容に関して嘘はなく、正直に伝えているつもりなのだが、「今ここ」という視点でみるとちょっと違う。
話している最中の気持ちは私の話を聴いてくれるか不安、信頼できるのかなという気持ち。きいてきいてきいてという気もち。
わかってくれなかったらどうしようという気持ちなどがあった。
だから知り合って間もない人や、緊張する場合は話の中身が「濃く」「シンプル」説明が少なくなってしまうという傾向がある。
できるだけ話の内容とメッセージを一致させなくてはとの思いから。
そうでないと聞いてもらえないのではという不安。
わかってほしいという思い。
誰も私の心の叫びに耳を傾けてくれる人はいなかった。
そんな中友達は大きな助けになってくれた。
しかし親や先生はダメ。
こちらから伝えようとしても、伝わりきらない。
聞きたくないことに向き合う大人がいない。
こちらが我慢して元気なふりを演じると、それが本当だと思い込む浅はかさ。逃げたいのがまるわかり。
ちょっと不満でも漏らすとそんなこと言うべきではないとの態度。
小学校高学年から中学時代、ストレスが溜まりに溜まって実際に過敏性大腸症候群という病気になった。
それでも内面に目を向けてくれる人はいない。
症状として、たましいの叫びとして身体が表現しているのに、誰も気づかない。
数年後また別の時には病気になっても気の持ちようとか、病院の先生でさえ「顔色が良いから大丈夫」と。
28歳の時、本当に文字通り死にかけた。「病気に助けられた」。
死ぬくらいの苦しみが私の中にあったのだと。
3人目の子もその時に亡くなったが、その子との出会いはもちろん悲しみもあったけど、それ以上の幸せを感じるものだった。
それまで生きてきた中で抱いていた悲嘆の大部分が癒されるという、我が子である赤ちゃんから「スピリチュアルケア」を受けたのだと思う。
当時の体験はまさにスピリチュアルケア。助産師さんの関わりもそうだし、家族の支えもそう。
話を聴いてもらえないことや、誤解されること、理想を押し付けられることに対する怒りがある。
そのことが「喪失」であり「悲嘆」でもある。
まさに心の根っこに存在する悲嘆。
私自身、人に対して今まで「待つ」「じっくり話を聴く」という態度が自然にできていたし、もともと持っている資質であったと感じる。
ケアということでいえばもっと上手な人はたくさんいる。
しかし人と比べず、自分の中の資質として「聴く」ということはもっとも自分が自然でいられてらくににできることだと感じる。
それでいて相手からも喜ばれる。私が提供できるものの中で最善のものであり、またそれは同時に「私が失っていたもの」「もっとも欲しかったもの」でもある。
聴くということは私にとって与えるもの、欲しいものというコインの表裏。
以上になります。
読んでくださりありがとうございました。