私自身、自覚なしに「サレンダー」していた体験があります。
それは生死をさまよった際。
もう自分ではどうすることもできない、呼吸すら自分でできず人工呼吸器に頼らざるを得ない生命がぎりぎりの状況になった時。
数日間意識の無い状態から無事生還し、「一瞥体験」「覚醒体験」と呼ばれる状態を経験。
しかし、退院後の日常生活では「サレンダー」ができていたわけではありません。
一瞥体験を経て人生観がひっくり返り、その後スピリチュアルな探求が数年続くことになりました。
サレンダー・明け渡し 宇宙にハンドルをゆだねるとは?
引き寄せの法則やスピリチュアルのことを学んでいると
サレンダー
明け渡し
大いなる意志・宇宙の流れにゆだねる
他力で生きる
帰依
という言葉をよく耳にします。
自分という小さな自我でどうにかしよう、状況を良くしようと望んだ結果に対する執着を手放すことを意味します。
小さな自分がハンドルを握ってあれこれ行先をコントロールするのをやめて、大いなる意志にハンドルをゆだねる。
一体どういうことなのか???
頭ではわかっていてもなかなかそれができないから、望んだことが思うように進んで行かないのですね。
・・・・ううむ、そうはいっても・・・・、どうすれば???
私自身ここ数日でやっとこの意味が内面からわかりました!
自我が頑張るのはそもそも悪いことではありません。
それに自分の人生を良くしたい、幸せになりたい、と思うのは当然のこと。
自我の願いを達成することを目指して頑張ることもある時期は必要なのですね。
頑張って頑張って頑張って、執着しまくり、
「どうしてあれやこれやこんなに頑張っているのになかなか進歩がないんだろう?」
と自然と自分を顧みる時期が来ました。
そして、同時に
「そもそも自分の心の中にあるものしか、外の世界には現れないんだな。そうするとまずは自分の心を満たすことが先決なんだな」
ということも深い部分でわかりました。
これがわかれば、
自分を偽る我慢はしないで済む。
むしろそうすることが苦しい状況を生むのだ。
という理解につながったので、これからは自分の直観に従い、好きなように生きていればうまくいくと安堵することができます。
これらは2007年の一瞥体験の時にもアハ体験を通してわかっていたことなのです。
しかし、自分とその理解の距離が遠かったのか、肚落ちするまで、実際にそれを生きられる段階になるまで(これからそれを生きることになるのですが)こんなにも時間がかかったのです。
小さな自我で頑張っている時はきっとうまくいくのではないかという期待もありますし、実際うまくいくこともあるのですね。
努力する対象への思いが、自我の頑張りではなく、知らず知らずのうちに大いなるものに委ねていた努力の場合は、うまくいっているのです。
しかしこだわっていることほど、うまくいかないのですね。
小さい頃からの自分の人生を振り返ってみても、「どうしてもこうじゃなきゃ気が済まん!絶対にこれは何が何でも手に入れてやる!」
そうやって執着した願望に限って叶うまでに時間がかかりました。
「やっぱりもうサレンダーしかないのか。神様に明け渡すこと。でもそれどうやったらできるの?え?自我がそれをできるんじゃない。それは起こるもの?」
サレンダーもどき・明け渡しもどき
「明け渡しのつもりで、頑張る行動をやめて、状況が良くなるのを期待するのは「取引」だ。それは明け渡しをしていないってことやんなあ。明け渡しもどき、サレンダーもどきや。」
一体どうすればいいのか・・・。
今年の冬に買った刀根健(とねたかし)さんの本を何度も何度も読みました。
僕は、死なない。 全身末期がんから生還してわかった人生に奇跡を起こすサレンダーの法則刀根さんは末期の肺がんから奇跡的な回復をされた経験をお持ちです。
色々な治療法を試した結果、最後は「もうどうにでもしれくれ」という明け渡しの心境になり、がんが治癒、健康を取り戻したという方です。
刀根さんの場合も元々強い自我をもってらしたとのこと。
治療に関しても最初は自我の力で努力をすることをずっと続けていたのですが、頑張って頑張って、とうとう最後に「自我の力ではどうしようもできないのだ」という深い気づき=サレンダー・明け渡しが勝手に起こったと。
私の場合は刀根さんのように生命の危機ではなく、
仕事やライフワーク、経済的なこと(子どもの学費もかかるしどうしよう)で、
「どうしようか。心が喜ぶことをやっていて本当にお金は大丈夫なのか。」という疑念が根強く残っていたのです。
お金のブロックというのは根深いものがあります。
それでもがんなどの生命を脅かす状況ではないので、お金の場合は借りるなり何なりという選択肢もあります。特に今はコロナで働く場所にも困る方が増えていて、若い女の子が「パパ活」をして妊娠、中絶なんて話もあります。
そこまで追いつめられるんだったら、一時的にお金を借りるくらい良いのではないかと思います。こういう背景にも助けを求められない、自分一人で何でも解決しようとしてしまうビリーフが関係しているのでしょう。
ちょっと話が逸れましたが、「どうしよう」と追いつめられて無理やり向いていない仕事をして心を殺すようなことになっては、お金は入ってきても心は貧しくなる。
自分の嫌なことであっても、お金が入ってきた満足感の方が上回るのであれば、状況は良くなっていくのだと思いますが、私のように心の中の「不満」の方が大きいと結果的にはお金も出ていくことになります。
もしくは病気になったり人とのトラブルが増えたり・・・。
外の世界は自分の心の反映なので、不満が多くなると外の世界で体験することも不満だらけになっていきます。
頑張っても頑張ってもなかなか成果に繋がらない理由も同じで、むしろ頑張っているからうまくいかないのですね。
「こんなに頑張っているのになんでうまくいかないんだ?」という状況がずっと続くことになりますから。
しかしそれすらも貴重な経験。
うまくいかない、自我の力では現実を望むものにはできないんだという肚からの気づきに至るには、やはり頑張った後でないとわからないのです。
経験して体得して、やっと納得できるものです(中にはスムーズに行く人もいますが)。
自我には本当に何の実現力もない。
個としての自分には本当に何の力もないんだ。
今まで成し遂げてきたと思ってきたことも全て、私の力ではなかったんだ。
そもそも、自分の得ているものはみな、自我の努力で得たものではないのですね。
自我が頑張っている目標物ではなく、頑張っている間にいつのまにか、別のものごと全てに対して大いなるものの力が働いてそれが現れていたのだと気づきました。
空気を吸えることも、水を自由に飲めることも、病気やケガが回復することも、家族がいることも、友人と楽しい時間を過ごせることも、没頭できることがあることも、お金が入ってくることも、ネットに繋がっていることも、おしゃれができることも、何一つ自分でやっているのではなく、大いなるものから与えられたことなのだとわかりました。
文章にすると頭の表面の理解に留まってしまうような表現で、伝わりにくいことがもどかしいです。
上記のようなことができているということ、自分の周りにある恵みは、自我がやって実現したことではなかったのです。
どれもこれも自然からの恵みであったり、他者のはたらきを通して自分のもとにやってきたものや出会いです。
ということは、最初から大丈夫だったということ。
それを自我が「大丈夫じゃない」と勘違いして、「あれもしないと。これもしないと」と頑張りまくることを続けて、やっと「自我には何も力がなかった」と気づく。
サレンダー・明け渡しはそうしようと思ってできるものではないのだと、やっと体感することができました。
自我には状況をコントロールする力はないので、私のすることと言ったら望む方向に目標を設定し、後は心の喜ぶこと、目の前のこと、ピンときたことをやる、これはもうやめるタイミングだなと感じた事柄についてやめていく、といったことくらいです。
そうすれば勝手に必要なことが起きてくるのだとわかりました。
自力で頑張るのをやめると他力がはたらくということがわかりました。他者を通して他力がはたらくのですね。
そして心から喜びの心でやっていること、天命だったり宇宙の意志でやっていることは、自分以外の誰かにとっての「他力」になるでしょう。
人からすごいと言われるようなことでなくても、日常の些細なことも、そして自我の頑張りでさえも、すべてが必要で「おかげさま」で生かされているということ。
自我で生きてきた時間が長いので、いつのまにかまた自我ベースに戻ることがあるかもしれませんが、今はこんな状況です。
読んでくださりありがとうございました。