吐いたものをもう一回食べてはいけない
イヤなことが起きたら「これで終わったんだ。解けたんだ」
今回は自己探求がある程度進んでいる人や、自分の心を見つめるのが習慣になっている人向けの内容です。
心の癒しがある程度進んでくると、生きづらさが軽減され、自己受容が進み、周りの人間関係も以前よりも良いものになってきます。
意図的に傷つけてくる人がほとんどいなくなります。
それでも、生きていたら自分にとってイヤなことがゼロになるわけではありません。
そんな時、普通なら感情がそのイヤなことに巻き込まれ、なかなか抜け出せなかったりします。
そのことに対して執着が生まれ、強く長く保持してしまいます。
結果、強く長く心に抱いている観念はまた同じような出来事として現象化します。
実は現象化した時点でもう「終わっている」のです。
心の中の「業」が外の出来事として現れるのですが、
感情は「ああ、ほんともうイヤになる。」と感じますね。
感情でしっかりと受け止めたらもうそれは「解けた」ということです。
これは「いやだな」「苦しいな」と感じている感情を無視して、無理やりポジティブに持っていくことを言っているのではありません。
頭の理解:「あ、これはもう終わったんだな。解けたのだな」と受け止める。そして感情は感情で何でも感じさせてあげて、「心はめちゃくちゃ苦しんでいるな。しばらくは辛いけど終わったということだな」と客観視する。
感情:イヤだ。苦しい。もういい加減にしてほしい。どうしてこんな目に?など、本音を感じ切る。
普通は「これはもう解けた、終わった」などと解釈する人は少ないでしょう。何か気づきがあって「ああ、そうだったのか」と手放せる場合もありますが、
多くはイヤなことが起きたらそのイヤなことに焦点が合ってしまい、また自分の中に取り込んでしまいがちです。
そして自分の力でなんとかしようと、外の世界をコントロールしてしまいがち。つまりエゴが動きだし、自分を守るため、自分がダメにならないため、不安を消すため、という「恐れからの理由」で行動してしまうのです。
だからまた同じようなことが繰り返されます。
動機が「愛」なのか「恐れ」なのか。
世間一般の価値観とはずれていたとしても、自分の中でそれが「愛」の動機であれば、それはあなたにとって正解なのです。
関連記事:愛か恐れか。人生が進んでいかない理由。それは恐れの感情に負けて途中で決断を変えてしまうから
自己探求が進み、ご自身の心の動きがある程度把握できている人であれば、このように自分で意味付けを意識しなおすことも有効でしょう。
自分の感情を素直に感じるというのはとても大切ですが、その後で「こっちに行くんだよ」とつまり「これはもう終わったんだよ」と方向を指し示すことで終わらせることができます。
方向を指し示すことをしないと、イヤだという感情に焦点が合ったまままたそれを保持してしまいますので。
感じている感情そのものをコントロールするのではなく、それはそれで放っておきながら、頭の理解を修正していくのですね。
ですので、吐いたものをまた食べてはいけないのです。
吐き気がするとき、吐いた後もしばらくは気持ちが悪いですよね。でも、吐くことによってらくになるということは理解できますね。
せっかく外に出た(吐いた)イヤだという感情をまた保持してしまうのは、吐いたものをもう1回「これは私の一部だ」と胃の中に戻すのと同じです。
今回の内容は、心のことについて全くわからない人や、心と外界はリンクしているなどという発想が受け入れられない人の場合は役に立たないでしょう。
そのような方はまずは感情を感じ切ることが大切だからです。
おそらく感情を押し殺して、本音があっても奥におしやって我慢を重ねてきた場合が多いかと思われます。まずは感情を拾い上げ、その奥の本音を受け止めることが大事です。
このような場合は吐くのを我慢しているからずっと苦しいんです。
吐いたつもりでそれはげっぷだったりして、思ったほど出ていないのです。
胃の中に腐った食べ物がいっぱいあるので、まずは吐きましょうということ。
自己探求が進み、日常でも自分が本当は何を感じているかということを常に意識できる状態になったら、今回の方法が役に立つでしょう。
経も読んでくださりありがとうございました。