真の願いを明確化できていないことが多い
私たちは願望を抱きますが、もしかしたらその願望本当に叶えたいこととはズレているかもしれません。
自分では本当の願いだと思っていて、いざそれが叶ったとしても、
一瞬だけ達成感や満足感を味わうだけで、幸せが持続しないことがあります。
期待したよりもがっかりしたり、残念に思ったり。
■自分がどう感じたら幸せを感じるのか?
■どんな感情体験を求めているから、その願いを抱いているのか?
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願いを抱く理由って「感情」です。
物を手に入れたいとか、お金を手に入れたい、恋人が欲しい、望む仕事に就きたいなど色々ありますが、
その願いが叶ったらどんな気持ちになりますか?
どんな感情を感じたいから、その願いを抱くのでしょうか?
感じたい感情を明確化
願いを明確化するとは、感じたい感情を明確化するということ。
それが本当の本当の本当の本当の本当の望みです。
ここが自分でもわかっていないと、ぼや~っと漠然とした願いを抱くことになります。
願いは漠然としていても叶いますが、叶ったとしても満足度は低いでしょう。
どんな感情を感じたいか。
エイブラハムの感情の22段階をヒントにできるかもしれません。
1から7が心地いいと感じる感情です。
1.喜び・智・溢れる活力・自由・愛・感謝
2.情熱
3.興奮・没頭・幸福感
4.ポジティブな期待・信念
5.楽観
6.希望
7.満足
8.退屈
9.悲観
10.フラストレーション・イライラ・我慢
11.圧迫感
12.落胆
13.疑念
14.心配
15.自責
16.挫折感
17.怒り
18.復讐心
19.憎しみ・激怒
20.嫉妬
21.不安(身の危険)・罪の意識・無価値
22.恐怖・悲嘆・憂鬱・絶望・無能
関連ページ:願望実現のために小さなステップを繰り返す!エイブラハム 感情の22段階
あなたが満たされているな、豊かだな、と感じるのはどんな時?
お金があったら豊かだなと感じることは多いので、豊かさ=たくさんお金があること
と思っていませんか?
でも、実際たくさんお金を稼げたとしても、仕事が忙しすぎて自由な時間も好きな人と過ごす時間も足らない、睡眠も足りていないからいつも疲れている、となったらどうでしょうか?
お金はあるかもしれませんが、エネルギーは枯渇して気持ちは全然豊かでないかもしれませんね。
お金が欲しいという願いの奥にある本当の願いは、
「欲しい物を自由に買える経済的余裕」
「自分でやらなくていいことをお金を払って人に頼み、空いた時間で好きなことができる自由」
「無理して稼がなくてもいい安心感」
「あれもできる、これもできる選べる自由」
「他人に贈り物をし、喜んでもらうことでこちらも嬉しい」
お金そのものを得たいというよりも、お金によって得られる余裕や自由、安心を感じていたくて、お金が欲しいのですよね。
また、他の例では「結婚」。
結婚したいという願いを抱いている人は多いかと思いますが、結婚してどんな感情を味わいたいのでしょうか。
ここが明確になっていないと、結婚できたとしても後悔するかもしれません。
「愛しいパートナーと一緒に生きていく幸せ」
「何でも話せて信頼できるパートナーと一緒にいる安心感」
「愛し愛される関係が土台にあるから、仕事にも打ち込めて充実した毎日」
まあ、みなさんこういうことを望んでいるはずですが、叶っていないことも多いのは、「表面上のイメージ止まり」だから。
頭ではそうと思っていても、心が伴った実感ではない。
本当の意味で、許可できていない。
心の奥深く、潜在意識で上記の願いが叶った状態、本当に深い部分に落とし込めていないと、自然で当たり前の状態にならないと、幸せを感じられない。
「結婚前は好きだったけど、なんか違った」
「話したくても聴いてくれない。何かちょっとでもミスすると怒られたりしてずっと気を張っていないといけない」
「お互いに関心があるとはいえない。仕事は楽しいけどやりがいや充実感を分かち合えない不満を抱く」
こういうことになりかねません。もちろん、修正可能ですが。
結婚できたけど、いつも自分を抑えて、生き生きと過ごせない・・・・。
生き生きできない相手を無意識で選んでいるのでは?
自分の中に受け取り許可できないブロックがあれば、「受け取ってはいけない」と潜在意識で思うわけで。
頭では「ああがいい、こうがいい」と理想は出てきても、
結局「与えてくれない人」を選んでしまうんですよね。
自分が自分にやっていることを他人がやってくれるというか。
まずは自分に出会っていないと他者にも出会えない・・・・
関連記事:「出会い」と感情の自己開示①
関連記事:人間関係・パートナーシップ。相手ではなく自分に向き合う。
自分の本心本音を明確にするとは、自分を徹底的に理解し、受け入れ、愛するということ。
心の奥深いところにその願いを落とし込むというのは、自分を徹底的に大事にするということです。
本当の本当の本当の願いって
実はとてもシンプルです。
でも、とても奥深くにあって、自覚しづらい。
気づいたら
え?そんなこと?
と拍子抜けするくらいシンプル。
でも奥深くにあるから見つけられないこともあって。
だから表面的な、ぼんやりした願いを本当の願いだと勘違いしてしまう。
でも、本当の願いがわかれば、現象化に向けて加速しますし叶ったときの満たされ感が違います。
誰かを愛したいのであれば、自分の中に愛があふれていなければ愛せませんし、愛されたい場合も、同じです。
自分が自分に与えたものが、他者を通して与えられます。
また、他者に与えようと思えば、自分を満たして満たして満たして、あふれた分を与える。
それからでないと本当の意味で与えることはできません。
あなたにとっての喜びや豊かさとはどんな状態でしょうか?
■ここが天国で何でも叶うとしたら、私はどうありたいだろう?何をしたいだろう?
■しなければならないことなど無く、何でもしていい自由があったら何をする? |
「ここが天国」なんてちょっとぶっとんでいるように思うかもしれません。
しかし、願いは何でも叶うのです、本当に。
叶わないのは、自分でそれを「どうせ無理」「私にはもったいない」「人に嫌われたらいやだ」「過去に叶わなかったから今回も無理では」などと邪魔しているから。
ですので「ここが天国」とか「何でもできる自由の身」だと仮定して(というか本当に天国であり、自由の身なのですが)、常識的に考えて本音を覆い隠してしまう癖をまず外さないと、本当の本当の本当の望みは出て来づらい。
明確化していくには、世間の常識や決まりという枠を外して、本心本音を探ることです。
本心本音を探るとは、自分の本当の願いを受け入れ、叶うことを許可すること。
どんな願いであっても、願いを抱いていいと許可すること。
結局はどんな自分も愛することですね。
本当の本当の本当の願いを探ることは、自分自身への愛です。
お読みくださりありがとうございました。