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グリーフケアは悲しみを消すためのケアではありません。
抱えたままでも生きていけるようにサポートするのがグリーフケアです。
上記の記事をお読みいただきたいのですが、死別の悲しみが辛くてたまらないという方が孤立せずに相談を受けられるような体制が必要です。
死別を体験したからといって全員にケアが必要ということではありません。多くの場合、家族や友人に話を聴いてもらったり、自分の中で故人との思い出を回想したりながら日常生活を送っていける人であれば、特別にケアを受けずともやっていけるのです。
私自身、祖父母が亡くなった時は辛くてもどうにか日常に適応してやってこれました。
グリーフケアが必要なのは、1割か2割の人だと言われています。その死が予期していなかったものであったり、予期していなかった人であった場合にケアが必要になることが多くなります。
また故人との関係性によっては、死別の悲しみに加えて、遺族が傷つくということも起こります。
例えば社会的に受け入れられないような関係であったり(不倫相手が亡くなった時など)、経済的な理由で人工妊娠中絶を余儀なくされたり、ヘビースモーカーの家族が肺がんにより死別、それは自業自得だと言われたり、ということが起こりえます。
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また家族を亡くした悲しみを「この人はわかっていないだろう」と判断され、悲しみを抱えていてもケアの対象にならないという場合もあります。
小さな子どもや障害のある方などです。言葉によるやりとりは難しいかもしれませんが、話さないからといって悲しみを抱えていないという意味ではありません。
そういった方たちにこそ、温かく見守るまなざしは必要で、言葉以外の方法で悲しみを表現する、五感にアプローチするワークやセラピーなども役に立つかと思います。
コロナの影響で人々の価値観にも変容が見られると思いますが、目に見えるものや経済的効果があるもの、物質的な豊かさなどといった面にとらわれるあまり、陰に隠れている人や悲しみが置き去りにされがちです。
華やかであればもてはやされる能力主義的なところ・・・。
社会の価値観に合っていて、デキる人ばかりに注目が行く・・・。
明るい面ばかりが強調され、苦しみや悲しみは無かったことになってしまう・・・。
元気などでないのに「乗り越えよう」と言われたり・・・。
そんなに乗り越えることが大事なのか・・・。
本当は誰もが苦しみも悲しみも持っているはずなのですが、それを言ってはいけないような、元気なフリをしなければいけないような気になってしまう・・・。
打ち明けにくい社会だなあと思います。
それでも近年は「グリーフケア」という言葉も広まってきて少しずつ変わってはきていますね。
誰かに話を聴いてもらうことで、大切な人を失った悲しみが消えるわけではありません。辛く苦しいこと自体は変わりませんが、自分のことをちょっとは大切に思える、とりあえず今日一日生きようという力にはなります。
誰かに支えてもらっていいし、助けを求めてもいい、迷惑をかけてもいい、そうやって自分を大切にしていいと思えることがもっと広まっていったらいいなと思います。
自分を癒すこと、悲しみを抱えたまま、そのままの自分で幸せになっていいと許せること。
それはいずれ他者に対する優しさにもつながっていきます。それでいいんだよ、と。
読んでくださりありがとうございました。