グリーフケア。どうして人は「あなたよりもっと辛い人はいる」と慰めるのか?

聴く側の人間に悲しみ比べをされたら・・・・

私の周りの方々には幸いいないのですが、たまにいるのですね。

相談を受ける側なのに「あなたよりもっと辛い人はいる」と言ってしまう人が。

私自身は誰かから言われたことはないのですが、そういった場面を目にしたり、そういった話が耳に入ってきます。

(※過去に自分で自分に言っていました。この話は途中に書いてあります。)

医療職の人や学校の先生などから言われたことはありませんか。

普段接する人間関係の中でも、こう言われると余計にしんどくなってしまう方が多いのではないでしょうか。

言われた当事者を余計に追い詰める言葉であるのに、言ってしまう人が減らない気がします。

 

あなたにとってとても辛いことが起きた。

とても大切なものをを失った。

病気、事故、虐待、死別、離別、人権侵害、いじめ、誹謗中傷、欲しいものが得られない、目指していた学校や会社に入れない、好きな人が別の人とくっついた・・・・。

何が最も辛いかは人によって異なりますが、

上記のような出来事に遭い、

どうしてこんな目に遭うのか

なんで私なの

誰かに聴いてほしい

わかってほしい

この先どうやって気持ちを立て直していけばいいかわからない

 

このような時にいてもたってもいられず誰かに話して

あなたよりももっと大変な人がいる

と返ってきたらたら打ちのめされたような気分になりませんか?

私はなります。

誰も私の話を聴いてくれない

一人で抱えていかなくてはならないのね

と。

悲しみ・苦しみは人と比べることはできないその人自身のもの

例えば妊娠をし、喜んでいたのもつかの間、残念ながら流産をしたという場合。

おなかの中で短いながらも生きていたいのちを失うのとても辛いことです。

小さな赤ちゃん。会ったことも声を聴いたこともないはずなのにどうしてこんなに愛おしいのか。

たった数日、数週間であっても確かに生きていたいのちを亡くすのはとても辛い。

そんな時に

「あなたよりもっと大変な人はいる。もっと大きくなった子どもを亡くす方が辛いよ。」

などと言われると本当に傷つきます。

どちらの悲しみも比べられるものではありません。

 

流産の例を挙げましたが流産や死産は「公認されない悲嘆」とも言われていて、

喪失の対象が喪失と認められにくいのですね。社会から「悲しんでいい」と認められなかった背景があります。

他の例では、恋愛・失恋と死別や病気を比べて「失恋は大した痛みではない」という思い込みもあるかと思います。

恋愛の悩みを抱えている人に対して、

「若くして不治の病で亡くなる人もいる」

「貧しい国に生まれて子どものうちに死んでしまう子もいる」

と言ってしまったり。

自分の好きな人が他の人と付き合うことになった、他の人のことが好きだということがわかった。

諦めざるを得ない状況とわかっていながら、なかなか立ち直れない苦しみ。

何年も引きずることもあるでしょう。

恋愛や失恋の痛みというのは他のスピリチュアルペイン(たましいの痛み)と比べて軽いのではないかという発想を抱きがちです。

しかしこれもまた思い込み。

実際に恋愛や失恋のことが尾を引いて自死や殺人に発展することもあります。

それほど恋愛や失恋もまた心の大切な部分を占めるということです。

 

例を二つ挙げましたが、他にも似たようなことが多々あるでしょう。

外に現れた「出来事」「事象」を比べて

こっちのケースの方があっちのケースよりも重い、軽い、と判断するのは偏見に他ならないのですね。

苦しんでいる当事者が、「私はまだ良いほうだから」と自分を保つために、そう思うことが必要な場合もあるでしょう。

しかし他人が「あなたはまだ軽い」などと判断するものではありません。

「あなたよりもっと大変な人はいる」と言う側は一体どんな気持ちなのでしょう?

表面的には

元気になってもらいたいという気持ちが強いのだと思います。

状況は苦しいかもしれないけど、それでも良いところもある、と。

あの人はもっとひどい目に遭っている、あなたはそこまでじゃなくて良かった。

と。

しかし深層は

本当に聴いてほしい心の深い部分には触れようとしてくれない態度です。

聴く側が「逃げたい」のですね。

触れたくない

 

 

「今感じているしんんどい気持ち」を抑え込んでねじ伏せてコントロールして、

元気になろう、希望を持とう、前を向こうと言っています。

「我慢しなさい」と。

 

しかし「前を向いてやっていこう」と思えるのは、本当の意味で回復してきた時に当事者の自然なペースで生まれてくるものではないでしょうか。

今辛いのにそれを我慢して、元気になろうと無理をするのは、その「辛いこと」が無かったかのように、目をそらす態度です。

本当に感じている気持ちを否定しているのですね。

このような関わりにより、

  • 悲しみや苦しみを打ち明けられない
  • 打ち明けても受け止めてもらえない
  • 無かったことにされる
  • 目に見えてはっきりわかる、人に強烈なインパクトを与えるような喪失や体験に重きを置きそういったものは認めるが、第三者にとって存在感が薄い、けれども当人にとっては耐えられないほどの苦しみであっても、受け止めてもらえない
  • ますます言えなくなる

という風になっていきます。

おそらく言った本人は良かれと思って言っているのです。

表層の意識では。

こういう風に考えたららくになるよ、と。

しかし本当に相手のことを思っているのとは違います。

押しつけですね。

どうしてそのような押しつけをしてしまうのでしょう。

それは深層の部分

言った本人が同じことを自分に対して言ってきたからではないでしょうか。

そしてそれが「うまくいった」と自分では思っている。

しかし実は深層の部分ではうまくいっていなかったから、自分で自覚なしに、人に対して傷つく態度を取ってしまっているのです。

以下私が感じていることですが、きっとその人は・・・・

辛く苦しい時、その痛みをねじ伏せて、無理に前向きになろうとしてきた。

そしてそれはある程度うまくいった。

生活も仕事もどうにかやってこれた。

しかし抱えている苦しみ自体は無くなったわけではなく、向き合うことを先延ばしにしている。

直視するのが難しい時はそうやって生き延びることが確かにいのちを守ることになる。

しかし、向き合うことから逃げてずっと抱えていると今度は「痛み」の方が追ってくる。

おそらく身体や精神などに症状が現れていないだろうか。

心の声をねじ伏せたつもり、前向きに生きてきたつもりかもしないが、

身体や精神が、代わりにその痛みを表現してはいないだろうか。

「癒されてほしい」「解放してほしい」と。

そしてその痛みは自分自身や他者に対する態度・行動となって現れることもある。

自分に対して行っているのを同じことを他人にもする。

「あなたよりもっと大変な人はいる」と言ってしまうのもその一つ。

心の深いところに触れようとしない態度。

逃げる姿勢。

それはその人が自分自身に言ってきたことであり、

その人もまた自分の苦しみ悲しみを心の奥に閉じ込め、出てきたらダメと抑え込んでいる。

その人もまた癒されていないということではないか。

 

・・・このように思えるのですね。これは私が頭で考えて出したことではなく、心が受け取った感覚を書いています。

と同時に私自身、人にこのような言葉を発したことはありませんが、自分自身に対して言っていたのですね、心の中で。

だからずっと他人の方が自分よりも苦しみが深いと思っていた時期があるのです。

そう思えたからこそ、日常を送れていたということもあります。

それが28の時に、生死の危機に陥り、やっと気づきに至りました。

「ああ、私は死ぬほどの苦しみを抱えていたんだ」と。

 

「もっと辛い人はいる」と

他の人と比べる行為は一見浅はかで軽薄に見えます。

確かに、心の奥に入ろうとしない、相手に触れようとしない態度です。

この言葉を言われると、多くの場合それ以上話ができなくなります。

そう言ってしまう人自身もまた、自分の心深くにある痛みや苦しみから顔を背けてきたので、ご自身が痛みや苦しみを抱えているとしてもそれがどういった痛み・苦しみであるか、自分でもはっきりとわからないのですね。

※代わりに身体・精神の症状や自他に対する態度となって現れているでしょう。

自分の痛み・苦しみをわかっていない人に他人の心がわかるはずがありません。

ケア提供者になる場合も、まずは自分がケアされることを学びます。

話を聴く側の人間(グリーフケア・スピリチュアルケアの提供者、カウンセラー、セラピストなど相談を受ける側)が、まず癒されていることが重要です。

癒されるというのは、自分を縛っている思い込み、偏見といった「ビリーフ」を自覚して、解放できるものは解放していくということ。

またそのようなビリーフを抱え、傷つきながらも生きてきた自分を、それでいいんだと受け止めること。

自分が自分の本心を拾い上げることができているか、自分に優しくできているかということが、結果的に他者への優しくできるかどうかにつながります。

 

本当に辛く苦しい時にこのような反応が返ってくると余計に傷つきますね。

打ち明ける相手を選ぶことは本当に重要です。

日常で接する人がこのような反応をしたのであれば「仕方ないか」と思えることもあるでしょうが、それが心の相談の専門家が発したとなると問題でしょう。

「相手もまた痛みを抱えていんだな」とわかっても、それをあなたが癒す必要はありません。

抱えなくて大丈夫です。

ここで「この人の方が私よりも大変なのでは」と推測し、自分よりも相手の痛みの方に意識を持っていかれると

まさに

「私よりも大変な人がいるから私の苦しみなんて・・・」文字通り自分を抑えてしまうループに入りますので、その人はその人、自分は自分です。

まずは自分です。

 

「あなたよりもっと辛い人はいる」「あなたよりもっと大変な人はいる」と言われた時の対処法

辛いことを打ち明けたのに

「あなたよりもっと大変な人はいる」と言われて

傷ついた自分、

怒りを感じた自分、

絶望を感じた自分の気持ちを大事にしましょう。

 

そして本当はどうしてほしかったのか自分の本心をちゃんとすくい上げるのです。

怒りや傷ついた気持ちの奥にある、本当の気持ちです。

まずはあなた自身を大切に。

それからその人と今後関わっていくかどうかは自由です。

関わりたい人であれば、いずれ本心本音で付き合える時がくるでしょうし、

関わりたくなければ避けてもいいですし、

本心は言わずにうわべだけの付き合いとどめておくこともできます。

そういったことも身を守るうえでは必要かもしれません。

 

誰に話を聴いてもらうかということがとても大事

誰に打ち明けるかということは、あなた自身を大切にするということにもつながります。

人は自分に対して行っていることと同じことを他人にもする傾向があります。

ですからやはり自分を大切にするということは、結果的に他人を大事にするということにつながりますね。

他人を大切にする目的で自分を大切にするのではなく、それは結果としてそうなるということ。

まずは自分を大切にするのです。

ご自身の心の感覚に従って、親身になって聴いてくれそうな人を選んで話すこと。

 

読んでくださりありがとうございました。

 

個人面談ではお一人おひとりを大切に、その人の価値観を大切にした対応を心がけております。 どのようにすれば最もらくになれるのかは人それぞれ、抱えている価値観・気質・状況によって異なります。 「千の花」での面談をご希望の方は以下をお読みください。 ブログ内には心の癒しやあなたの可能性を広げるヒント、役に立つ本の情報など豊富にございますので、ぜひ参考になさってくださいね。