愛する人を亡くした後、その人なしでどうやって生きていったらいいのだろうかと、辛くてたまらない時期を過ごします。
なぜ亡くなったのか。
どうして他の人ではなく、私の身にこんなことが起こったのか。
亡くなった人はどこにいったのか。
存在そのものが「無」になってしまったのだろうか。
天国に行ったとかいうけど、本当にそんな見えない世界があるのだろうか。
幽霊でもいいから姿を現してほしい。
亡くなった人の魂はどうなるの?魂って本当にあるの?
私たちが肉体を持って生きているのは3次元の世界です。
3次元の世界では見えるもの、科学的に裏付けされていることが重要視されています。
しかし真実は私たちは複数の次元をまたがって存在していて、この3次元で肉体感覚が優位な状態は、私たちのほんの一部です。
例えば「涙」
涙は目からあふれて実際に見ることも触ることもできます。
涙を流して泣いている人を見れば、なにか辛いことがあったのかなとわかりますよね。
一方、「悲しみ」は目には見えません。
悲しみを抱えている人が、涙を流していないからその人は悲しくないんだ、とは思いませんよね。
涙を見せていなくても、心の奥に悲しみを抱えているのだと想像することができます。
「涙」はいっぱい抱えている悲しみのほんの一部があふれ出てきたにすぎません。
涙の奥には、目には見えないけれども深い悲しみの存在があります。
これと同じように、3次元である肉体と、「心」の関係一つとっても見えるものだけがすべてではないと理解できます。
人間として生まれてこの世界で生きるということは、実は見えるはず認識できるはずのものを見えない状態にされ、わからないような状態にされ、その制限の中で生きるということ。
見えなくてもあるものはある。
そして常に複数の次元につながっています。
こう言えるのは私は生死をさまよった際に、この世界に折り重なるようにして存在する別の次元の存在をありありと感じたからなのです。
そして実は見えない次元の世界から、3次元に向けてなんらかの働きかけがあります。
人は科学的なことを第一に、頭の考えで判断してしまう傾向があるので、その働きかけがあっても「スルー」してしまうことが多いのです。
「うさん臭い」そう思ってしまうのも無理ないですし、実際にそれを利用して人をだまし、人生をぼろぼろにされる事例もありますから、慎重になることは大切です。
今までご遺族のお話を聞かせていただく活動、それから自分自身の体験からも、亡くなった人はメッセージを送ってくれるんだということを信じています。
故人によってメッセージの送り方は異なるようですが、私の場合、亡くなった子は「蚊」に乗ってやってきます。
最初は死産の直後に冬にも関わらず蚊が数回現れたので「もしかして」と思いつつも半信半疑でした。
故人は蝶やテントウムシという場合は多いようですが、私は蝶のほか虫が苦手なので小さい「蚊」にしてくれているのでしょう。
蚊は夏になるとしょっちゅう見ることもあり、「あの子かも」と思うことも次第になくなっていきました。
それがグリーフケアの活動に進展があるときや、今まで4回受けている一週間の病院実習の際は毎回、蚊が現れるのです。
思い出しても鳥肌が立つのですが、普段しょっちゅう目にする蚊は単なる蚊ですが、何かメッセージのある際は一匹だけ「ぷーん」と飛んできたりということで、「わかる」のです。
グリーフケアの活動や、1週間の病院研修というのは私のライフワークなのですね。
ライフワークというのは3次元を超えていて、生まれる前に決めてきた仕事でもあります。
見えない世界とのパイプが一番太く直結しているもの。
そのような状況に日常も近づくことで、見えない世界からのメッセージも入ってきやすいです。
それから、虫の他には歌の歌詞が、私に語り掛けるように聞こえるようになったこともあります。
4、5年経ってからのことでしたが、号泣でした。
他、亡くなった子からの手紙を自分で書いたこともあります。
意外にもこれは良かったです。自分で書いたものですが読んで涙が出ました。
亡くなった人は肉体がないので、3次元にメッセージを落とし込もうとするには、それを目に見える形、生きている人間がちゃんとキャッチできる形にする方が伝わりやすいですよね。もともと霊感のある人であれば心の中だけでそれをキャッチできるのでしょうが・・・。
頭の活動がゆるんだ時にふっと「つながって」思いをキャッチできる気がします。
これは誰にでもできると思います。
故人に話しかけて、どんなことを語り掛けてくれているのか、答えがわかるという人は多いです。
自分の中でぴんとくるのでしょう。
最初は頭の中で自分の想像の中でのやりとりかもしれませんが、次第に「ノイズ」が取り除かれ、「わかる」ようになる。
死後の世界があるかどうか、実は証明することが大事なのではなく、信じること、そして「あ、これはメッセージだ」「あの人は私に常に愛を送ってくれているんだ」
と自分で思えることが、生きる力になっていく。
それが最も大事なこと。
亡くなった人が、姿は見えずとも存在していて、もちゃんと見守ってくれているのです。
瞑想をしたり、何かに没頭をしたりして、「思考」をクリアにしていくことで見えない世界のメッセージに気づきやすくなります。
何か聞きたいことがあれば、問いかけてみると、誰かの口を通じて、本やネットの分を通じて、答えがやってくることがあります。
そしてそれは「どうしても答えを知りたい」という執着が解放されている時、忘れた頃に返ってくることが多いです。
以上読んでくださりありがとうございました。