youtubeで海外のグリーフケアについてちょっと見ていました。
人工妊娠中絶のグリーフ。
「公認されない悲嘆」の一つです。
悲しみが悲しみと社会に認められていない。
「悲しみ」自体が認められていない場合と、「悲しむ人」の存在が認められていない場合がある。
アメリカでは6人に一人の割合で、中絶経験があるということ。
先日放送のNHKの番組によると、日本では9人に一人が中絶経験者。
結構多いですね。
活動をする際、私は周産期のグリーフケアをやろうという思いはあったものの、果たして中絶経験者の話が聴けるだろうかという思いがありました。
死産と中絶は違うという自分の中の思い込みがあり、聴けないのではないかと。
私のやっている会は周産期のグリーフ全般で、特に「疾患が理由で人工死産(中絶)を決断した人」が対象です。
「経済的な理由で人工死産(中絶)を決断した人」のケアはできるだろうか、偏見や差別の意識なしに聴けるだろうかという疑問が最初ありました。
私の会とは別のところで、実際に上記のような方々の話を聴く機会が何度かあり(過去のDVなど別の話をされる中、実は中絶をしたことがある話されるパターンが多い)、「聴けるだろうか」という心配は払しょくされました。
偏見を持つことなく、他の人の話と同じように聴けるということがわかりました。
youtubeにあった海外の方の声ですが、罪悪感や、恥の感情、誰にも言えない、隠し続けなければ生きていけないがそれがまた苦しいということでした。
中には「言葉にする」ということすら辛すぎてできないという場合もあるようです。
たった一人のその子、自分の赤ちゃんを亡くすというのは想像を絶するほどの悲しみでしょう。
ましてやそれを「決断」せざるを得ないような過酷な状況にあったということや、その時はまだ「若いから」深く考えなかったとしても、意識の中にはずっとあって、数年経った後に深い深い悲しみ、苦しみ、自分への不信感や罪悪感、自己処罰感情として現れてくることもあるようです。
このような深い痛みを抱えながらも、ご自身を責め、他者からケアされることすら許していない方が多いようです。
ドラッグ依存になってしまったり、深い心の傷があるにも関わらず、癒されることを自分に許していない。
何年も何十年も苦しむ方が多いみたいです。
そんな方々も、同じような体験をした人たちと自分の「ストーリー」を語り合うことを通して、お互いに受け入れ、受け入れられ、徐々にご自身の力を取り戻していかれるようです。
私たちがやっている活動とよく似ていると思いました。
自分の話をじっくりと真剣に耳を傾けてくれる、否定せずに聴いてくれるということが、当事者にとってはとても大きな力になります。
市民が無料または低価格で、誰もが利用できるこのようなグループは必要ですね。
でないと「経済的理由」で決断をした方はやはり「経済的理由」で専門家のケアを受けることや、グリーフの反応が精神面や身体面に現れたとしても、病院に通うことも躊躇せざるを得ないということになりかねません。
サービスを受ける側の負担は少なく、ケア提供者もお金持ちばかりじゃないんだから収入がサポートされる仕組みがこの先必要でしょう。
過去を変えることはできませんが、どんな過酷な状況であれ希望を感じることは可能です。
希望を感じていいんです。
自分の人生を取り戻してほしいと思います。