今回は私自身の体験から、ライフワークはグリーフワークを兼ねていることもあるという話をさせていただきます。
- 人間、誰でも「本当の自分」で生きられるんだ。
- この世は「自分の心」でもあるから、何が起こっても本当は大丈夫なんだ。
- 世界は自分の外にあるように見えるけど、それは思い込みであり、起きることは全て「自分の心の中の範囲でしか起こらない」
- 誰もがその人の持って生まれた才能や可能性を生かして幸せに生きることができるんだ。
- 自分を愛し、信じることで生きたいように生きられるんだ。
これらのことは28歳で死に直面した際に突然わかったことです。
誰もが本当は幸せの中にいる。そう思えないのは単に「思い込み」の影響が強いだけ。自分が世界を創っているということ。
そしてこのひらめきをもたらしてくれたのは、妊娠中に亡くなった3人目の子でもあります。
あの子も「私の中にいる」ということでもあり、「あの子の中に私がいる」ということでもあります。
あのひらめき、覚醒体験は人生最大のプレゼントであり、あの子がいのちをかけてまで私に届けたかったものでしょう。
あの体験から自分の人生を取り戻し、主体的に生きていく勇気や励ましをもらいました。
お腹の中で生きたのはたった100日あまり。最後の1週間は胎動を感じることもできました。
ライフワークを見つけられるということも、どれだけ珍しいことなのか、幸せなことなのかあらためて思います。
普通はライフワークや天職、好きなことで生きていくなどと考える人はほとんどいません。
最近はコロナのことがあってやや増えてきたかもしれませんが・・・。
現状が不満であっても、それで生きていけるのであれば変える必要を感じない人がほとんどでしょう。
不満や我慢は当たり前、毎日会社に行って早く休日にならないかと思う日々。
でも、本当の自分を引き出して生き生きと生きていくことができるのです、人間みんな。
ライフワークに携わることで、あの子とのつながりを感じます。
このことは私自身の「グリーフワーク」「グリーフケア」でもあり、同時に「自分を生きている感覚」を実感します。
短い期間でしたが確かにあの子がお腹の中で生きていた、存在していた、私がこうやってグリーフケア・スピリチュアルケアの活動をしていることは、あの子のいのちのはたらきでもあるのだなあと。
あの子はそういう形で生きているんだ、と。
もしかしたら「自分を生きる」とは何か大きな喪失があってようやく成り立つものなのかもしれません。
グリーフケア・スピリチュアルケアの活動をしている仲間の中には、耐えがたい体験を生かしたいという思いで携わっている人も多いです。
家族を亡くすことや自身の身体機能の喪失、友人や恋人との関係の喪失、災害による住居の喪失、経済的な喪失、虐待や暴力などによる心理的な喪失。
さまざまな喪失がありますが、どれも「自分を失う」体験です。
それまで抱いてきた「自分はこうだ」というイメージが壊されます。
頼りにしていた価値観や物の考え方ではもはや対処できなくなります。
そのような時に日々葛藤し、悩み、考え抜き、徐々に新たな自分が生まれ、新しい世界に適応できるようになってきます。
その新たな自分は以前の自分よりも人間的な豊かさや深みが増していることが多く、それは身をえぐられるような大きな傷をもたらす体験があったからこそ、出会えた自分とも言えます。
このようなことを書くと、意識が変容してから精神的にも安定し、満たされた気分でいつも過ごしているのかと思われるかもしれません。
しかし毎日100パーセント調子が良いわけではなく、調子の良いときもあれば悪いときもあります。
やる気が無くなったり、人に対して興味を持てないこともあります。
良いときと悪いときが交互にやってきますが、最近は悪いときの下がり具合が緩やかになってきました。
大きな気づきがあったからといって、いつも良い状態ではないのです。
というのは高次につながった意識でいられれば人に対して慈愛の心を注げますが、エゴが優位なこともあります。
それでも全体的にみるとやはり調子の良い時が多いです。
心の深いところが変化するとそれにともなって行動も変化します。
何よりも自分の人生生きたいように生きていけるんだと思えるようになったこと。
あれこれやりたいことがある時、自分にやっていいと許可を出せること。
出来るかどうか心配することが少なくなり、やりたいと思ったことは失敗してもいいからやっていいと思えること。
いきなり大きなことはできなくても、出来る範囲でいいからコツコツと、心の抵抗を感じない方法で粘り強く続けること。
私の持っているものを、他者のために役立てたいと思えること。
調子の良い悪いはありますが、28歳の時から14年間今までずっと自分の将来に希望が持てている状態が続いています。
そして書いていてあらためて気づいたのですが、「グリーフケア」に出会ったことも、出会う前に自分の心が「ライフワークをやっていきたい」と求めていたからなのですね。
確か2008年、29歳の時に江原啓之さんの番組で「グリーフケア」という言葉を初めて知り、「これだ」と感じました。
28歳の時の覚醒体験で自分の使命を見ていますが、その後その使命が一体どのような仕事なのか、ピンとくるものがありませんでした。
心のことをするのはわかっていましたが、「臨床心理士」「精神保健福祉士」などはいまいち心が動かなかったのです。
2012年から本格的に学び始めましたが、やはりぴったりだと思いました。
ぴんと来るものはやってみることですね。
2008年の時点では「グリーフケア」の言葉でネット検索してもほとんど何も出てこなかったように思います。
2011年にやっと見つけたのですが、ぴったりの時期があるということと、やはり意識の上で「グリーフケアをやりたい」と思っていたことが現実面での出会いにつながったのだと思います。
ライフワークはグリーフワークでもあるという話でした。
今日も読んでくださりありがとうございました。