今回の内容、宗教的ケアとスピリチュアルケアは、部分的には重なっているけれど、異なるという内容にも似ています。
スピリチュアルケアは、ケア提供者が牧師であれ僧侶であれ、属している教団の教義を教え導くケアではありません。
それに対し、宗教的ケアはその宗教の教義や作法など宗教的資源をケアに生かします。
詳しくはこちらの谷山先生の著書をお読みいただければと思います。
宗教というのはある意味「法則」とも呼べるかなと思うのです。
引き寄せの法則や潜在意識の仕組みなども、私たちの顕在意識ではコントロールが難しい領域での「法則」です。
真理、宇宙の法則とも言えます。
宗教もまた、その根っこは宇宙の法則を言っているのですよね、キリスト教、仏教、表現は異なりますが。
ただ、人間側が後から色々な作法などの決まりを作ったりして、表面上は違いが生まれています。
スピリチュアルケアが宗教的ケアと異なるというのは、相談者の気持ちそのものに寄り添う点ですね。
相談者の価値観、人生観にケア提供者が寄り添う。
相談者の価値観、人生観の中で、ケアにつながるもの、生かせるものを一緒に見ていくのがスピリチュアルケア。
一方、宗教的ケアはその宗教の価値観の中で、ケアに生かせるものを使います。
相談者の価値観の中にケア提供者が入っていくのが、スピリチュアルケア。
宗教の価値観の中に相談者が入るのが、宗教的ケア。
まあ実際にはこんなに明確に分けられているのではなく、大部分が重なっています。
宗教的ケアをしつつ、相談者の気持ちに寄り添うこともありますので。
で、引き寄せの法則や、潜在意識の仕組みや、外の世界は心の反映、とこのブログでは言っているのですが、このスタンスは宗教的ケアに似ていますよね。
私は何らかの宗教に属しているわけではありません。
しかし、信仰はしていて、スピリチュアルな存在、真実の世界のことを信じています。
それを表現するのに使っているのが、引き寄せだったり潜在意識だったり。
結局は仏教の唯識で述べられていることとほとんど同じですし。
外の世界が内面を現しているというのは、実際にスピリチュアルな次元をかいま見る体験をし、掴んだものです。
ああ、本当に自分の潜在意識に抱えているものが現象化しているんだ、と思えます。
生きたいように、希望通りに生きられるとわかりました。
まあまだ全てが希望通り、願い通りにはなっていませんが、現実を創るのは自分の潜在意識なんだと、深いところではわかっています。
「このブログの使い方」にも書いていますが、対象者の意識の状態によって、読む箇所を主に4つに分けております。
関連記事:このブログの使い方
自分と他人、自分と外の世界は別の存在であり、分離していると思っている場合と、両者はお互いに連動しているとうすうす気づき始めた段階、そして、確信したもののまだ希望通りに生きられていない段階、です。
実際に、グリーフケア、スピリチュアルケア、カウンセリングでお客さんにどう対応しているのかというと。
やっぱりスピリチュアルケアなのですよね。相手の価値観の中に入って、一緒に考える。
目の前の相手が、引き寄せや潜在意識など全く知らなくて、ただただ、この苦しみを聴いてほしい、という場合。
誰それにこんなことを言われてひどく落ち込んで、もうどうすればいいかわからない、という場合。
現実はあなたの潜在意識の反映ですよ、などと伝えることはありません。
その人の中には、心が現実を創っている、などという価値観は無いからです。
内面と外の世界は全く別、と思っている。
私もその価値観の中で、お話を伺います。
そして、色々と話を伺い、深まっていくと、実は今回の問題は幼少期のある出来事に根っこがあったんだ、と自ら気づく場合もあるのですね。
内面と外の世界は別、という価値観は変わらなくても、その価値観の中での気づきに至ることはよくあります。
人によっては、気づきが深まり、「もしかして心と現実は連動しているのかも」とうすうす気づいていく場合もあります。
引き寄せの法則や潜在意識の仕組みについて知識があるお客さんの場合
どうして相談に来るのかというと、知識はあって努力しているつもりでもうまくいっていないからです。
この場合は、引き寄せや潜在意識について、視野を広げた視点から私の提供できるものをお伝えします。
くすぶっている場合はメンタルブロックの解除をしたり、過去の心の傷に向き合ったりして、「今」の心の状態が良くなるような取り組みをしていきます。
知識のあるお客さんの場合も、その知識の度合いによっての価値観に沿って話を聴きますが、知識という下地があるので、こちらからの提案も受け入れてもらいやすいです。