自分の心が外の世界に現れる。
外の世界は自分の心の写し鏡。
自分で自分をどう扱っているかは、他者からの言動をどう受け止めるかによってわかる。
やりたいことを自由にやりたいのにできない。
他者から「そんなことしてはダメ」と禁止され、それに従わざるを得ない状況というのは誰でも体験があると思います。
- やりたいのに禁止されていてできない。
- やりたくないのに「やれ」と言われ、しぶしぶ従う。
- やりたいことができず、やりたくないことをやらなければならない苦痛。
親が、友達が、彼氏が、夫が、妻が、姑が、先生が私にそのように言うから・・・・。
他人にそう言われるから、「しぶしぶ従っている」と思いたいし、そう感じてしまうのが当たり前。責任を他者に押し付けているんです。
「私はこんなことしたくないのに、親やあの人がそういうから、仕方なく言うこときいてる。」
これ、本当はいいわけ。
自分の心と外の世界はイコールだということがだんだんわかってくると、他人に言われることは、実は自分が自分に言っているということがわかってくる。
他者を通して自分自身の心と対峙しているのだということがわかってくる。
他者と出会うということは自分と出会うということ。
自分以外の存在として見えているし、そう感じるのが普通だけど、本当はみなつながっていて、一つの存在。ワンネスともいう。
禁止令や命令を出しているのは自分自身に他ならない。
喜びからの行動ではなく、自己保身のための行動。
怒られないため、責められないため、不安や恐怖から逃れるためという理由。そして自分で責任を取ることからの逃げ。
だから、結局自分に自由を与えたいと思うのなら、その自由を自分自身に許さない限り、他者を通して「禁止」されるばかりになる。
- 私は好きに生きていい。
- 自由にしていい。
- 自分らしさを表現していい。
- 好きなものは好きと言っていい。
- 嫌いなものは嫌いと言っていい
- やりたくないことをやめていい。
- 心が喜ぶことをやって、人に喜ばれる人生を送っていい。
- 心が喜ぶことをやって、収入を得ていい。
- 自分の人生を生きていい
こういったことを自分に許さないと外の世界は変わらない。
本当に心の底から、「受け取っていい」という許可を出さないといつまで経っても本当の自分を生きられない。
頭の部分、知的なレベルで許可を出してもそれはまだ表面的なものに過ぎないので、それをもっと心の奥深く、潜在意識、深層の部分で、肚から納得といったレベルでないと外の現実は変わらない。
自分一人で、「肚レベル」でもう「そう生きる」と決めてしまう。
他者を通して心の抵抗が現れているのであれば、その相手と徹底的に対峙することも大事かもしれないし、対峙できない場合はそれこそセラピストだったりスピリチュアルケアの専門家やカウンセリングを頼ることで道が開けるかもしれない。
「他者を通して自分の心の抵抗が現れる」ので、どこまで行っても自分がずっと付きまとってくる。
心の抵抗役を「親」「夫」「妻」「先生」などが担ってくれているのか、セラピストなどの専門家が「私が自分の人生を生きていけるように」心の抵抗から解放される方向に導いてくれるのかの違い。
そうやって「突き抜けられる人」、今の私のように、「あと少し」というところで潜在意識の抵抗にあってまた戻ってしまう人などさまざまだと思う。
私自身、困難なところばかりにどうしてもフォーカスしてしまいがちですが、「自分を愛する」ことがずいぶんとできてきたのか、スピリチュアルケアの現場や仕事など、出会う人には本当に恵まれている。
他者に受け入れられるということ、ケアされる、癒されるということもまた心の現れなので、自分が自分をどれだけ愛し、受け入れることができているか、自己受容ができているかということの現れ。
自己受容ができている分だけ他者に受け入れられる。
行きつ戻りつしながら、でも諦めずに最後に残るのは自分を信じるということだろうか。
やっぱり最後は自分しかない。
Trust yourself.
Love yourself first.
以上、読んでくださりありがとうございました。