理性と本音
- 生きづらい
- いつも心に不満や不安を抱えている
- 気がついたら人の言いなりになっていて自己主張できない自分がいやになる
カウンセリングやセラピー、瞑想によって一体何をしているのかというと、
理性の声をゆるめて、感情を受け止め、その奥にある本心本音を受容するということ。
本心本音が肚から受容できたら、心の葛藤は癒されます。
理性というのは頭の働きですね。
自分の進みたい道の方向づけに理性は必要です。
しかしその理性が、方向づけではなく、本心本音を捻じ曲げて、世間や周りの声に従うような役割になってしまっているのが問題。
「本当はいやなのに・・・」という方向へ進んで行ってしまいます。
通常、どうにかこうにか我慢しながらも生活はできてしまうと、本心本音を汲み上げることもなく、だましだましやり過ごすことが続きます。
「こんな考え方をする私はひどい人間だ」
「常識からいって、ここで文句を言うのは大人げない」
「あの人も頑張っているから私も我慢して携わらなきゃ」
「私だって本音をぶちまけたいけど、そうしたら誰かが傷つくよね」
「迷惑をかけられないから現状維持で我慢しよう」
「この本音を言ったら私の生活も危うくなる・・・」
こういうのです。
ようは自分を守っているのですね・・・。
本心本音をすくいあげたいのに、自分を守ることが優先されている。
しかも自己犠牲までして。
もうあなた十分我慢してるし、十分傷ついてるでしょ。
なんで他の人のことまで考えるの?
って感じです。
もう自分のことに集中しましょうよって言いたい。
(それを一人でできない人のためにカウンセリングやセラピーがある。)
あなたはあなたにしかできないことがあるんだよーーーー!!!
他人に邪魔されたままでいいの?
問題は解決できないまま。
心の葛藤があるのに、です。
多くの人は忙しさから、自分を見つめる時間を取ることもせず、理性の声と感情のモヤモヤとの葛藤を表面的に繰り返すだけで、その奥に行かないからいつまで経っても苦しみから解放されません。
奥に行かない、というのは理性の声がうるさいと奥に行けないのです。
頭の考えばかりがガラクタのように取っ散らかっていて、そのガラクタをいくら整理しようとしても、「整理」では根本解決になりません。
例えていうと、
部屋中はおろか天井までゴミがあふれて足の踏み場もない、通り道もない部屋の中で、大事なダイヤの指輪を落としたから探そうったって、難しいということ。
大事なダイヤの指輪=本心本音。
あるのはあるのよ。
無いってことはない。
部屋の中にある「おびただしい物」、その中からダイヤの指輪を探すのは大変ではないですか。
大変だから、見つかった時の喜びよりも探す大変さに負けて、「あの中にダイヤがあるのに~!!!いつまで経っても見つからない(泣)」とやっている。
そりゃあいらん物捨てて探してないんやから見つからんわい(笑)!!!
それを手にいれたかったら、手に入れることを邪魔しているおびただしい数の物に向き合いましょう。
それらの物を「必要だから取っておかなくては」と大事にしているかもしれませんがホントに必要ですか?
それらの多くはあなたにとってもはや「ゴミ」「ガラクタ」ではないですか?
過去には役に立ったし助けにもなってくれた物かもしれないけど、もうその役割は終わっている・・・・。
ゴミだらけの部屋の中、がんばって探したら見つかるかもしれませんが、まずはゴミを部屋の外に出しましょう。捨てましょう。
そう、捨てるのです。
「ゴミ」「ガラクタ」を捨てる。
まずはここから。
捨てた後、ダイヤの指輪を見つけた時の喜びはとても大きいですよ。
捨てるというのは、頭の声、理性の声を静めるということ。
そうしないことには、モヤモヤイライラした感情の奥にある、本当の気持ちにはたどり着けません。
ゴミやガラクタを捨てる作業というのが、カウンセリングやセラピー、瞑想に当たります。
一人で自分の心に向き合う「内省」も同じです。
ガラクタの少ない人、小さいガラクタしか無い人は、一人でもその作業ができるでしょう。
しかし、一人で持てないほどガラクタが大きかったり、数が多すぎるとカウンセラーやセラピストなど専門家の力に頼った方がスムーズに進みます。
心の奥に眠っている本心本音を見つけた時の喜びは大きいです。
今日もお読みくださりありがとうございました。