「生きづらい」ってどんな感覚?
生きづらい、生きるのがしんどい。
どんよ~りとしたしんどい感じがしますが、もっと明確に状況を挙げてみると・・・
やる気がわかない
やるべきことはあるのに、気が乗らない
何もかもが億劫
学校に行くのがいや
仕事に行くのがいや
人と関わるのがいや
一日中寝ていたい
どうしてこのように感じるのか。
生きづらさを抱える背景として様々なものがあります。
人から傷つけられることが多い
いじめられている、またはいじめられたことが傷になっている
人格を否定された
NOと言えないので、いやなことも引き受けてしまい、しんどい
相手への要望があっても伝えられない
言いたいことが言えない
やりたいことができない
自分を表現することが行けないことのように感じる
人から改善点を告げられると、人格も否定されたように感じ、自分を責めてしまう
悪いことが起きると自分の責任のように感じる
人のことも自分のことのように過剰に背負ってしまう
自分には取り立てていいところがないように思う
つまり、これらは全部を自分で自分を「否定」しているということ。
ダメ出しや反省ぐせから抜けられず、ますます落ち込んでしまう。
あれもこれも自分が悪い、自分のせい。
あの時もっとこうすれば。
やっぱり自分はダメなんだ。
自己否定していると他者からも実際に否定される
自己否定をしているとそれを証明するかのような出来事が起こります。
他者に傷つけられるという現象を通して、「やっぱり自分はダメなんだ」とますます自己否定の念が強まることも多いです。
しかしそこから自分はもっと大切にされ、愛される人間だと強く思うことができれば、傷つけてくる他者に対してNOと強く言うことができれば解放されるのです。
※あまりに傷が深い場合は専門家の助けを借りましょう。
「傷つく」という体験は自己否定そのものですが、どうしてそのような体験をするかというと、もともと抱えてあった「痛み」「自己否定」などの念が辛い出来事を通して「癒されたい」からです。
癒された先には、本当の自分、真実の自己、自己実現といった道へ一歩近づきます。
他人軸から自分軸へ
自己否定というのは、多くの場合、自分の本心が間違っていて、他者の価値観、他者の考えの方が正しいと思い込んでいる状態です。
常に他者、社会、世間の価値観を優先し、自分を後回しにしてきたので、自分は本当は何を感じているのか、何が好きでなにが嫌いなのかさえ感じ取れなくなった状態でもあります。
本当はあの時こう感じていたのに、親の意向に従うために自分の心を置き去りにした。
行動の動機が「他人に嫌われないよう、怒られないように」ということを基準にしていて、
自分はどうしたいのかということは後回し。
本当はやりたくないことだったのに、社会の価値観が正しいと思って続けてきたが、心が満たされたという感覚はない。
それっていつから?
よくよく考えてみると幼少期、育ってくる環境ですでに同じようなことが始まっていたのではないか?
自分の気持ちや大事にしたいことなど、それはダメといわれてしぶしぶ親の言うことに従ってきた。
ほとんどの場合、親は愛情からそういう風に言ってくるわけだけど、結局それが自己否定につながっている。
なぜなら親自身、それが「愛情」と思い込んでいる時点で、親自身が育ってくる中で社会や世間の価値観といった「枠」にどっぷりつかっているわけで、もうその時点で子どもが本当に感じているであろうことなど感じられない。
「枠」に当てはめてしか見れない状態。
親が他人軸で生きている。
しかも親自身はそれすら自覚がなく、それでいいと思っている。
でも子どもがそれを良いと思えるかどうかはその子によりますし、子ども自身の感性、やりたいこと、資質などがその「枠」にたまたまフィットしていればそれはそれで良いのでしょうが、そうではない場合も多いですね。
自分と世間の「枠」「価値観」が合っていない場合で、自分よりも世間に合わせるよう育てられてきた場合はやはり、後になって心の奥にある「本心」の部分がうずいてくるから生きづらいと感じるようになります。
だから、生きづらいと感じるということは、今まで影に追いやられていた「本心」の部分がちょっとずつ息を吹き返そうとしているのかもしれません。
自己受容。自分らしさを表現したい。その前にネガティブ感情をちゃんと感じること
自分らしさって?
他人の期待に応えようとしたり
人から怒られないよう、嫌われないようにと頑張ってきた人にとって、一体何が「自分らしさ」なのかわからないのではないでしょうか。
自分らしいって一体どんな状態なのか。
それは「自己一致している」ということ。
生きているとすべてが思い通りにいくわけではありません。
いやなことは起こります。
そのいやなことが起こったときに「いやだ」と素直に感じらるかどうか。
他人の幸せそうな姿や、自分が欲しかったものを誰かが先に手に入れている姿を目にしたときに
「あの人はあの人で頑張っているし、嫉妬や怒りを感じるのは良くないこと。」と自分の気持ちを押さえつけていないかどうか。
本当は嫉妬や怒り、はらわたの煮えくり返る感情を奥底では抱いているにもかかわらず、「ないこと」にしてしまうといつまで経っても同じことの繰り返しです。
怒りや嫉妬、泣き言、不平不満。
こういった感情は、人前で言ってはいけないとされていることが多く、例えば子ども時代、友達と喧嘩したときの怒りやくやしさをに親に打ち明けたとしても「あなたにも悪いところがあったんじゃないの?」と説教をされたり、親の考えを押し付けられたりして、感じている気持ちそのものを「ああそうなんだね、そう感じているんだね」と受け止めてもらうことが少ない傾向にあります。
このようなことの繰り返しによって、「こんな感情を抱くのはダメだ」という頭の考えが優先されるようになり、心の中で怒りや嫉妬を感じていたとしても押さえつけられるのです。
まずはこういったネガティブとされる感情も、あっていいと認めること。
そして自分の中でちゃんと
「あ~腹立つ!!!」
「なんであいつばっかり!!!」
「私の方が頑張ってるの認められないのは絶対おかしい!!!」
「なんでずるいことした人の方が幸せになんねん!!!」
「私ばっかり我慢するのはもういや!!!」
という風に心の中の感情をありのまま感じてみることです。
※人に伝える伝えないは別です。自分でまずは気持ちを感じるということです。こういった気持ちをちゃんと聴いてくれる人が少ないから今の現状に陥っているので、打ち明ける際は「確実に聴いてくれる人」を選ぶことが重要。
自分らしさというのは自己一致と書きましたが、
自分らしくいられない理由は他人の期待するような自分を演じてしまうということ。
自己不一致ですね。
いやだと感じているのに良い人のフリをしてしまったり。
根本には「ネガティブ感情をないことにしてきた」ということがあるはずです。
ネガティブとされる感情を認めると余計にしんどくなるのでは?といった声も聞こえてきそうですが、逆です。
例えば、行きたくない仕事や付き合いに行かなければならないという時。
「これでお金をもらっているし、新たな出会いや自分の成長もあるかもしれない。辛いなんて言っていないで感謝しよう。ありがたいことなんだから。」これが頭の声です。
しかし本心は
「また仕事か~。くそだるい。あ~しんど!はよ終わらんかな~。」
「あの人と会うんか。超いや。とりあえず取り繕ってニコニコしといたらええか~。」
と思っていたらそう素直に認める。
かえってその方がしんどい気持ちを引きずらずに済みます。
仕事がしんどい、人と会うのがいや。
さっさをその気持ちを認めてしまう方が逆に仕事に集中できたり、苦手だと思っていた人の新たな一面に触れたりして意外にも自分にとって嬉しい出来事が起こったりもします。
ネガティブ感情を感じているのに、感じていないフリをしてごまかしていると、ますます我慢を強いられるような状況に陥るので(現実は心の反映なので)ちゃんと感じた方が実は後になってらくになるということです。
そういったことを繰り返すうちに、こんどは本当の自分らしさ、自分ならではの持ち味や才能、個性というものがわかってくるようになります。
ここまでのプロセスは人によっては一人で取り組める場合もあれば、専門家のサポートが役に立つこともあるでしょう。
自分にもちゃんとそういった宝があった。
自分がすでに持っていたもので、誰かの役に立つということがわかった。
今度はそれを生かしていくステージですね。
読んでくださりありがとうございました。