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他人の問題で悩むということはそれは自分の問題だということ

他人が問題を抱えていて、どうすればいいのかと思い悩むことがあると思います。

一日中そのことが気になり、仕事や家事に集中できず、人と話していても上の空。

どうすればこの問題が解決するのか・・・。

私は一体何をすればいいのか。

あの人にどうのこうの言ったところで果たして事態は好転するのだろうか。

もしうまくいかなかったらどうしよう。

 

悩みごとというのは、家族のことだったり、友人や知人のことだったり。

自分のことであれば、「このような思い込みが根底にあるからそれにとらわれて苦しくなるんだ」

ということが比較的わかりやすいですが、家族や他人の問題なのにまるで自分のことのように抱えてしまい、しんどくなるということもあります。

どうして自分のことのように抱えてしまうのかというと、一つは自分の中の未完結の問題とリンクしてしまうからです。

他人の抱える問題に含まれる要素が、癒されていない心の傷にリンクしてしまうことがあります。

そのような場合は他人の話を聴いていて「これ以上聴きたくない」「話題を変えたい」と感じる場合が多いです。

心の傷以外には、他人を問題を通して自分の隠れた欲求を満たそうとする無意識の反応があります。

自分がその人たちに関わることで何かできるのではないか、その人が良い方向に変わるのではないか、などと思う場合。

「自分の力を他人を変えることで試したい」「人助けをして感謝されたい」という思いが隠れているかもしれません。

また、その人が良くなるように指導したりアドバイスすることが自分の責任のように感じてしまうということもあるでしょう。

この場合は「自分がやらなきゃ」という自己犠牲と、相手への信頼の欠如があるかもしれません。

自分が解決しなくてもいい問題、それは相手のことであって相手が自分でどうにかしないといけない問題なのに、手柄を取ってしまう行動に出ていないか、おせっかいになっていないか。

相手に対してこちらの本心本音を伝えたいのに伝えられない時、「こんなこと言っていいかな、あんなこと言っていいかな」ともどかしい思いを感じます。

自分の思いが相手に伝わらないのではないか、受け入れられないのではないか、拒否されるのではないかという恐怖や不安、遠慮ということでもあり、同時に本当は相手と通じ合いたいという思いが強いのかもしれません。

手をこまねいているうちに相手は誰からも助けの手を差し伸べられないということもあります。結果的におせっかいになってもいい、と割り切り思い切って関わることも必要なこともあります。

 

自分の中の一体どんな考え・ビリーフが悩みの原因なのかということを見つめ、それを見つけられると心はずいぶんとらくになります。

他人の問題が解決せずとも、自分の心が軽くなり、気楽な気持ちになりますね。

悩みに一体化しているからしんどいのであって、その悩みの原因となっている考え方を探り、距離を取ることで「あの人はきっと大丈夫」「この方法がダメでも別の方法がある」「ダメだったらダメでその時にきっとまた別の解決策が見つかる」などと楽観視できるようになってきます。

 

数年前「全託」という言葉を知りました。

自分の力で何もかもを行おうとするのではなく、神様に委ねるという意味です。

「全託」について調べていたら五井昌久先生という方のことを知り本を買って読んでいます。

読むと安心感と力がわいてきます。

偉大な宗教家の書いた文章は本当にいのちが生き生きとしてきますね。

今日もお読みくださりありがとうございました。

 

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