精神世界や心理学を学び、様々な宗教で伝えられている内容や、引き寄せの法則、自己実現に興味が出てくると、
「問題を解決しようとするから現実が好転しない」ということを、学びます。
問題を解決しようとするのは、自我の力だ。
自我には本当は問題解決の力もないし、願望を実現させる力もない。
望みをはっきりさせる役割が自我であり、実現させるのは潜在意識やハイヤーセルフと呼ばれる領域だと。
好きなことを仕事にしたい
そう思って勤めていた会社を辞めてしまったとします。
その動機というのは
「会社に行っているのはお金を稼ごうとしているから。
つまり生活の不安から。
会社に行っている行為そのものが、お金を得て安心したいという問題解決をしようとしている行為。
仕事そのものが楽しいわけではなく、毎日ゆううつ。
働いていること自体が自我の力で問題を解決しようとコントロールしている行為ではないか。
だからうまくいかないんだ。
不安を解決しようとしている行為をやめ、純粋な動機で好きなことで起業したらうまくいくのではないか?」
会社に行くこと=お金の不安を解消したい、という問題解決をしようとしている。
問題を解決しようとすることをやめるということは、仕事を辞めるということだ、と。
心の中には「問題を解決しようとするのをやめたら、人生が好転するのではないか」という期待がありますよね。
「人生が好転する」・・・・この部分に真の願いがあるのですね。
本当は何を問題だととらえているのでしょうか?
お金の不安が問題?
それも一つあるでしょう。
しかし、本質はこれではないでしょうか。
「生き生きと自分の人生を生き切れていない」
「本気になって仕事ができていない」
「私にしかできない貢献ができていない」
これらが問題なのですよね。問題、たましいの痛み、スピリチュアルペインでもあります。
で、
「生き生きと自分の人生を生きられるように」
「本気になって取り組める仕事ができるように」
「私にしかできない貢献ができるように」
が真の願いです。たましいの願い。
でも自我の力で
「生き生きと自分の人生を生き切れていない」
「本気になって仕事ができていない」
「私にしかできない貢献ができていない」
これらのことを解決しようとしているのがわかりますか?
え?
どうやって解決しようとしているの?
仕事を辞めることによって、です。
え?
問題を解決しようと自力でコントロールするのをやめるために、仕事を辞めるという発想になったのでは?
それも浅いレベル「お金の不安を解決したい」という段階ではそうですが、自分の存在、生き方、本来の自己を発揮して生きたいという願いは「お金の問題」よりも一層深いレベルにありますよね。
お金よりも自分の存在意義の方がもっと深い。
生きる目的というか、たましいの願いというか、個を超えた次元での願いというか・・・。
たましいの願いであるにも関わらず、自我の力でコントロール=仕事を辞めたら良い流れが来るのでは?と期待し、不安を抱える中仕事を辞めてしまう・・・。
仕事を辞めるという行為自体はニュートラルです。
行為自体のことを言っているのではなく、その奥の動機です。
形の上では「仕事を辞めた=自力の頑張りを手放した」と見えますが、
まだ自力でコントロールしようとしているのです。
自力で頑張ろうとしていることに対しても、「それをやめよう」「自力には現状を変える力はないんだから」と
自力でコントロールしようとしているのです・・・。
「取引」の段階なのですよ・・・。
「理想の状態になってない」
「足らない」
という欠乏動機からの行動。
多くの場合問題を解決するために行動することは必要ですが、
行動そのものではなく、動機のことを言っています。
問題を解決しよう、外の世界をコントロールしようとする動機、それは
「現実逃避」です。
どんな現実から逃避しているのか、というと。
自力には問題解決の力もないし、願望を実現させる力もないという現実です。
現状を変える力は無いのに、「ある」と思っていること自体が実は間違いなのです。
これをやればきっと人生好転するだろう、という期待。
期待から解放された状態でただただ淡々と「あ、次はこうなるだろうな」と自然感じられる状態であれば、好転していくのです。
自力ではなく、大いなる力を信じている状態、大いなる力が現実化させているんだ、という当たり前に人生を委ねられる感覚。
大安心の心境でいられること。
自力はいかに小さく、力が無いのかということ。
これらが現実です。
厳しいのではなく、とても優しく大安心が大前提。
それなのに、その優しい現実が信じられずに逃避してしまうのが、人間の小ささ、弱さなのですね。
そもそも足りないものは何もなく、豊かさも自由も満ち溢れているのに、それを「足らない」「委ねられない」「信頼できない」と自力で頑張ろうとして打ち消してしまうのですよね。
自力でどうにかしようと苦しみ抜いた末に、神仏の存在を感じる人が多いです。
絶望を感じた先に、価値観の大転換が起こったり。
一番辛い時に、人から救われる体験をしたり。
いよいよ自力で頑張れないどん詰まりまで来たから、大いなるものがはたらく隙間がやっとできたということなのですね。
自力で頑張ること、問題を解決しようとコントロールすること、をどうやってやめるか。
これらをやめようとするのも自力なので、自力がやろうとすることはやめられないです。
ですが日々の取り組みの中で、
「問題を解決しようと自力で頑張ろうとしている」と気づく。これがまず大事。
それから、その観念の奥にある真の思いに気づくこと。
「思い込みを解放する」
「今を楽しく心地よく過ごす」
「結果にとらわらず没頭できることをする」
など、助けになってくれるでしょう。
また、このような内容の本やブログなどに接して、日々知識として顕在意識に繰り返しインプットするのもいいかもしれません。
その行為すら「自力でコントロール」していることになるのでは?
と思いますが、顕在意識に繰り返しインプットしたことは、やがて量がたまり潜在意識に浸透します。
自我には力があるという思い込みを、日々手放していく、
自我には力は無い、ということをまずは知識でもいいので日々浸透さえていくのです。
仕事を辞めて好きなことをしたい、という内容で書いておりましたが、
人間関係や恋愛、お金、健康、すべてに言えることですね。
「結果にとらわれずに」ということ、とても大事です。
今日もお読みくださりありがとうございました。