私は今は躊躇なく、このようにブログを書くことが習慣になっています。
自分の好きなことを仕事にしていく上で、見つけてもらい、私のことをわかってもらう必要があるからこうやって書いています。
しかし人によっては、好きなことを仕事にしたいけど、自分のことを他人にアピールするのが苦手、どう思われるか怖くて発信できないという人もいます。
今の時代SNSがあるので誰でも自由に簡単に自分を表現することができ、世界中の人に知ってもらうことができる時代です。
やりたいことの後押しが簡単に得られる半端ない時代でもありますね。
ここから私自身のことになりますが、子どもの頃から、絵を描いたり文章を書いたりすることが好きでした。
しかし、それを人に披露するのはいけないことだと思っていた時期があります。
幼少期から可愛い服を着た女の子の絵を描くのが好きで、家族や仲の良い友達にはそれを披露できるのですが、保育園や小学校で他の子に見せることができず、わざと下手な絵、地味な絵を描いていました。
授業で絵を描くときはそれは授業で求められていることとわかっているので上手に描けますし、毎年クラスの代表の一人として文化祭で飾ってもらうのが普通でしたが、自分の描きたい可愛い女の子の絵を披露できないのですね。
小学校3年生くらいになってやっと人前で好きなように絵が描けるようになりました。
どうして自由に表現できなかったのか、当時の気持ちを振り返ってみました。
気づいたのは
自分を表現してはいけないという思い込みを抱えていたということ。
人よりも上手く描けることは自分でもわかっておりながら、目立つことをするのは性格には合っていないから地味にしていないといけないと思っていたこと。
周りが私に抱いている印象通りに振る舞う、周りが抱くイメージに合わせないといけないと思っていたこと。
目立つことへの罪悪感。
などなど。
成長するにつれ、このような思い込みから自由になりましたが、原因は一体何なのかと考えたら「親の価値観」です。
私自身はもともと他人の価値観よりも自分の価値観を優先し、ルールに従うよりも自由に動きたいタイプです。
しかし両親は全く逆で、バリバリの他人軸。
人にどう思われるかを常に気にして、間違わないように枠からはみ出さないようにということを大事にしています。
子どもは無意識に親の価値観を吸収してしまいます。
自分の本心の部分では「自由にしたい」と思って違和感を感じていても、その違和感を言語化する能力も低いですし、親の思っていることを合う合わないがわかる前に自分の感覚・考えとしてコピーしてしまうのでしょう。
もともと共感力が高かったので、親が感じていることを子どもの私も無意識に感じとり、自分の感覚として取り入れてしまったのだと思います。
しかし「本質」では私は表現するのが好きなので、結局はその本質の方が強く出てきたということでしょうね。
ブログを書くことも2005年からずっとやっていて(当時は英語学習や英語子育てのブログを複数やっていた)、人にどう思われるかは気にしつつも、それ以上に書きたい思いが勝るので、今もこうやって続けています。
数年前、好きなことがあるのなら、それを他人と分かち合うためにブログを書いたらいいのに、とうちの父に言ったことがあります。
父は趣味が多いので、一人でそれを楽しむよりも、表現して他の人にも知ってもらったらより一層趣味を楽しめるのではないかと思ったのですが・・・。
こんなことを言われました。
前にその趣味をブログで披露している人がいたが、コメントで叩く人がいた。だからやらない。
この言葉を聞いて思いました。
「やっぱりバリバリの他人軸やなあ。」
と。
こうやって、今までやりたいことがあったとしても人にどう思われるかと気にしすぎ、欲求不満の状態で抑えて抑えて、自分を出さないようにやってきたのだろうと。
だから他人が自由に好きなようにやりたいことに向かって頑張っている姿を見ても「どうせうまくいかない」などと批判ばかりするのです。
実際に何度も過剰に心配されて育ってきましたし、他人の服装や髪型にもうるさいです。
愛情がいびつな形で現れている。
ちなみにブログを公開したところで最初の数か月は検索エンジンの評価も低く、誰も見に来ないので、人にどう思われるかは気にするようなことではありません。
ブログを書いて人にどう思われるか、悪く言われるんじゃないか、という心配を抱く人もいますが、そもそも人が見に来ること自体が少ない。
それからそこそこアクセスが増えてきてメッセージをいただくことがありますが、そのほとんどが好意的な反応か、もしくはセールスです。
アンチが存在するレベルになるには、よっぽどのアクセス数があり、存在を認知されていないとと現れてこないです。
コメントで叩く人がいるレベルというのは、普段のアクセス数が半端ではないということでしょう。
しかし中には深刻なダメージを受けてしまい、精神的に参ってしまう人がいるのも事実。第三者に助けを求めることも時には必要です。
(私も配布したチラシを見た人から悪質な留守電が入っていたことがあります。しかもその人は内容をよく読まずに憶測と決めつけで怒っていました。家庭を持つ身としては確かに怖いですが、批判されたからといって自分が自分として生きることを諦めてはいけません。)
まだ何も起きていない何も始めていない段階で、人にどう思われるか気にするのはほとんど意味がないです。
気になってしまうのであれば、「気になるなあ」と自覚しつつも、感情と行動は分ける。
うちの父のように、人がまだ何もやっていない段階で「どうせうまくいかない」などと決めつけて意欲を削いでくる人がいますが、その人は自分の問題を投影しているのですね。
そして、究極的には他人の言動もまた、自分の心の反映。
全てが自分と思えば、怖さが減ります。
表現したいことがある、表現したいのにやっていないのなら、思い切って表現しましょう。
文章や写真、絵、動画や歌。
自己開示をすることで、あなたに親しみを感じると喜んでくれる人は必ずいます。
今日もお読みくださりありがとうございました。