HSP(Highly Sensitive Person)という概念がずいぶんと社会でも浸透してきましたね。
日本人の場合5人に一人の割合で繊細さんがいるということです。
HSPの状態、他人の感情を自分の物のように感じてしまいしんどくなく現象というのは、アストラル体の感受性が強いということ。主に他人のアストラル体の波動を受け取ってしまっている状態。
そして自分の中に浄化されていない部分と入ってきた感情がリンクし、しんどくなる。テレパシーのように感情を受け取ってしまう、場合によっては肉体の感覚、痛みや、アストラルより上位の意識体に属する「智慧」なども伝わってくるケースもあります。
しかし、多くの場合は感情が影響され、その感情の元となっている「価値観」も受け取ってしまい、それが自分のものであるかのうように疑わない状態になります。
下の図はバーバラ・ブレナン著「光の手 (上)」を元に描いた図です。
自分でも全く気が付かないうちに、他人の価値観を自分のものだと思ってしまっているのですね。
特に子ども時代はそうかもしれませんね。親が全く言葉で伝えたこともないのに、親の考えに染まっていることも多いです。
私の場合は、親がバリバリの他人軸の人間でした。
私自身も子どもの頃は他人の目を気にする傾向が強く、良好な人間関係を作るのが苦手で、いつも気を使っていたので本当に疲れていました。
気力の消耗が半端なかったです。
生きづらく感じていましたが、それが日常のことだったので、うまくやっていくには周囲の環境に自分を合わせることが必要なのだと信じていました。
自分を変えながらやっていましたが、やはりしんどかったと感じます。
本当の自分でいられないので。
そのように振る舞わざるを得なかったのは、親がそのような人間であったため、無意識に親と同じことを自分に課していたということが、グリーフケアやスピリチュアルケア、潜在意識のことを勉強するようになってわかりました。
親もそのような生き方がしんどいと感じていて(実際には言わないけれど)、その感情が伝わってきてしんどい。
感情が伝わってきても、感じたら手放したら影響はないのですが、そのまま保持してしまうのです。
そして他人の目を気にして自分を抑えないといけないという価値観の中で生きるのもしんどいのですね。
でも、それは自分のしんどさじゃなかったのです。
親のしんどさをそのまま自分のしんどさだと思っていた。
そして、親自身が「禁止」していることも多かったので、私もあらゆることを自分に許すことができませんでした。
ちょっと羽目を外すということも、見つかったら大騒ぎになるんじゃないかと心配でたまらなくなるのですね。
例えば、登下校中に車も来ていなかったので赤信号が青に変わる直前に渡り始めてしまい、上級生に注意されたことがあります。私は一体どうなるのかとヒヤヒヤしました。
しかし考えてみると、本来の自分とは逆の性質が「抑圧」となって現れるのですよね。
元々本来の性質がスムーズに現れている人もいますし、また人によって、ある部分はスムーズに出て、ある部分はくすぶって、ということも普通です。
潜在意識の部分で、「自由になんでも挑戦したい!」という執着がめちゃくちゃ強いタイプで、自覚はないもののこだわりまくっているからこそ、逆の現象として「制限だらけ」の環境が現れるともいえます。
自分の中の執着や業、それと放っている波動の兼ね合い、またHSPの度合いが強いと他者から受ける波動の影響で、自分の中の執着が余計に強まったりして、色んな出来事の現象化が起きるのでしょうね。しかもそれはいつでも、誰でも、完璧なタイミングで寸分の狂いもなく、出来事が織りなされる・・・。
それから、アストラル体の感受性は生きている人間の感情を拾うだけでなく、霊の感情も拾う場合もありますね。
その人の体質によって、霊の影響を強く受けたり、憑依される場合もあります。
瞑想やら心のケアやらで修行をしていると、自己浄化も進みますが、他人の心も自分の中で浄化するみたいなこともだんだんできるようになtってきます。
ですから、HSPでなんだかしんどかったけど、らくになったという場合、送ってきた念の持ち主もらくになっていることがあります。
これは憑依されていて、つまり癒してほしいと頼られているのがHSPでもあるのですが、自覚なしに相手の感情をも浄化しているということ。
生きている人間だったら「カウンセリング受けたらどう?」と実際のやりとりで対処できます。
で、この感情は私自身のものというより、他者からのものだな、とはっきり明確に対処する方法ですが、生きている人間への対応が「カウンセリング」であり、霊への対応が「浄霊」です。
HSPであっても、感情を受け取った際「あ、これは自分のじゃない」と受け入れなければいいのです。
これは普段から自分の感情をしっかりと感じることでだんだんわかってきます。
しんどい感情を感じて、ずっとそのことにとらわれてしまう場合、その感情の元になっている価値観を突き止め、明確にしていくことでかなりらくになります。
感情を感じることと、価値観の明確化。
これが習慣になると、何かしんどいことがあっても、そのしんどさを感じる時間が短くなっていきます。
そして自分の内的な感覚に敏感になるので、ちょっと変な感情を感じたら、「これは自分のかな?」と冷静に見つめられるようになってきます。
しかし、陰陽の法則といいますか、感性が研ぎ澄まされると出くわす負のエネルギーも時にはすさまじいものがあったりして・・・。
私の場合はスピリチュアルケアの研修の前後で、かなり邪気にまみれた念が自分の中からもわいてきましたし、外から入ってきたのもありました。
感性が敏感になっていると入って来やすいですし、巻き込まれやすくなります。
一度家族の生死に関わるような念が入ってきて、(実感的には私の中からわく妄想なのですが霊か何か外からの干渉だったと思います)、相当苦しめられ最後は「殺せるものなら殺して見ろ!!!!!」と相手に向かって心の中でですが、肚から対決しました。
自己探求が進むとインナーチャイルドの癒しがかなり進み、制限から自由になっていきます。
しかし、ある程度自由になったのにHSPのため知らないうちに他者の念に振り回され、自分の感情ではないのに自分のインナーチャイルドの問題かと勘違いして、自己浄化をやってもやっても終わらないということがあるのです。
他人の感情であれば、わざわざ自分の身を使って浄化してあげるのはいかがなものかと。
カウンセリングはクライアントとカウンセラー、双方の同意があって成されるものですし、浄霊もそうでしょう。
勝手に「癒してくれ」なんて来られて、あるいは「癒してくれ」なんて言ってないのにしんどい気持ちをキャッチしてしまったがゆえ「しんどそうだから助けたい」とかこちら側が思って、同意のないまま癒しが進む・・・・。
課題に向き合うのは本人がやること。
他人は他人、その人が取り組むべき課題です。
他人の課題を必要以上に背負う癖、他人の問題なのに自分の責任のように感じる癖に向き合うことも必要ですね。
双方の同意が大事。
できるものはできる、できないものはできない、と断る姿勢も大事です。
「なんだか難しそう」
と感じる方は天然の塩を舐めたり、塩で体を洗ったりなどという対策も簡単です。
対症療法なので塩に加えて、のちに自己を見つめることは必至です。
なんだか変な内容になってしまいましたが、HSPであってもそうでなくても、結局は自分を苦しめる感情や思想は「幻想」です。
自分の感情であれ、他人の感情であれ、それが区別できなくても、不安や恐怖の感情自体が幻想なのです。
結局、あなたは何を大事にして、何がイヤなのか、自分の価値観を明確にすること。
普段から感情を見つめる習慣を持ち、いつでもより心が軽くなる選択、喜びに根差した選択をしていけば大丈夫ということに変わりはありません。
今日もお読みくださりありがとうございました。