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一線を越える越えない、どっちがしんどいのだろう?「病室で念仏を唱えないでください」第3話から

人を助けたい気持ちは同じ・・・でも・・・

一線を越えるということばから、あなたはどんなことを連想しますか?

タブーを破って情動が動く方向に突き進む。

タブー、つまりルール違反。

ルールは社会生活をする上で、周りとの秩序を保ち自分のやるべきことを遂行するために必要なもの。

生きているとさまざまなルールに縛られますね。

今回の病室で念仏を唱えないでくださいは、救急医としてのルールと、チャプレンとしてのルール、人間としての葛藤の間で揺れ動く登場人物の内面に注目の回でした。

内容に関してはネタバレになってしまいますので詳しく書くのは控えます。

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病室で念仏を唱えないでください 第3話 後悔や迷い、心の葛藤

主人公の松本照円(伊藤英明)は僧医。つまり医師でありながらチャプレンでもあるという役。

医師としての職務とチャプレン(宗教者、この場合は仏教の僧侶)としての職務をこなすことがこの人の使命です。

それぞれの職務でやるべきことというのは当然異なります。

救急の現場で働く医師として、「やるべきことは患者の生命を救うこと」であり、心のケアやたましいのケアという部分まで首を突っ込んでしまうと本来の「救急医」としての仕事に影響がでるのは当然のこと。

結果どこかにしわ寄せが来たり、仲間に迷惑をかけたりということが起こってしまいます。

しかしこの主人公は同時にチャプレンでもあるのですね。

救急医と同時にチャプレン。ですから身体の症状だけでなく、「この患者さんはもしかするとこんなことを抱えているのかもしれない」、などと目に見えない心やたましいの部分にまで自然と意識が向いてしまいます。

しかしこのような態度は「医師として」の仕事の範囲を越えており、同僚の三宅(中谷美紀)に注意されます。

医師としての仕事の範囲内で精いっぱいのことをする。それ以外のことはたとえ気持ちが動いたとしても手を出さない。かえって他の人の迷惑がかかるというのが三宅の大事にしている考え方ですね。

その仕事の範囲を越えるというのは「一線を越える」ということ。理性ではなく、感情、いやそうせずにはいられないもっと深いところの情動によって、自分がどうなるかと顧みずにただただ目の前の人が助かってほしいという思いで動いてしまうのです。

今回、良かれと思ってとった行動、こうするのが当然であり最善と思ってとった行動が、もしかしたら自分は間違っていたのかもしれないという現実に三宅は突きつけられることになります。

治療の甲斐あって回復し退院したはずの患者が、自殺未遂を起こしてしまうのです。

「どうして・・・助けたのに・・・・・」

正しいと思ってやったことが、そうではなかった。打ちのめされたような気分になります。

 

一線を越えるのと越えないの、どっちがしんどいのだろう?

松本照円以外にも、「一線を越える」人が今回現れました。

消防の隊長、藤森(宇梶剛士)です。

この人もまた「一線を越えて」火の中にいる人を助けに行きたい人なのです。助けられなかった人のことで夜眠れないという話もありました。

「ここから先は行ってはダメ」と理性で判断し、結果助けられない。

しかし「助けたい」の一心で一線を越える。勝手なことをされると困ると部部下にしかられながらも、藤森は「一線を越える」ことが自身の生きざまでもあり、そうせずにはいられない。

三宅「藤森さん、今までしごとしてきてなやむこととかなかったですか」

藤森「人の助けられなかったら自分が辛いから

たとえむちゃでも火の中飛び込んじまったほうがほうがらくなんだおれは。」

 

人を助けたいという思いは同じであっても、一線を越えない越えたい本心をぐっと抑え、感情をコントロールしてやるべきことをやる三宅のような人間のほうが、もしかしたらしんどいのかもしれないという藤森の言葉。

 

松本は松本で、いつも感情で突っ走ってしまう自身の行為を顧み、他人のことを思ってやっているつもりでいたが、実はそれは「押しつけ」だったのではないかと反省する場面もありました。

 

いのちを救うという救急の現場に限らず、「一線を越えようかどうか」「一線を越えるべきかどうか」問われる場面はあります。

本心ではそうしたいと強く思っているのに、そうすることで失うものが多すぎる。

そうすることで誰かを傷つけたり迷惑をかける。

一線を越える・・・それはその行動を取った後で、全責任が自分にのしかかってくることへの覚悟も必要。

でもそこまでしてでも、そうしたいのであれば、一線を越えることで内面的にも成長するのだろうと思います。

それと引き換えに失うものは大きすぎることも覚悟ですが。

藤森のようにいのちを失うこともあるのです。

迷っているのなら、覚悟を決める!

ここでちょっとドラマの話題とはずれますが、私自身の考えを述べたいと思います。

自分のやってしまったことに関して後になって後悔をするのが人間というもの。

しかしやらなかったことに関しても後悔はします。

本当はできたかもしれない、うまくいったかもしれない・・・。

いや、失敗していたとしても、ほんのちょっとでも可能性があったのなら、あの時行動を起こせば良かった。

あの人の言うことに従うより、世間の常識に従うより、自分の本心に従って行動すれば良かった。

たとえうまく行かなくても、自分を信じてあげれば良かった。

 

自分を信じなかったこと、本心を押さえつけて行動を起こさなかったことに対する後悔もまた辛いですね。

私自身の体験ですが、行動を起こさずにいたことの方が後悔は大きいです。

自分を信じてあげれなかった、人にどう思われるのかを気にしすぎていた、そんなことどうでも良かったのにという。

一方、心の奥から突き動かされて「どうしても今!」と行動を起こしたことが数回ありますが、やっぱり自分にとってそうすることは良かったと思っています。

うまくいく、いかないじゃないところで、もっと別の深い部分で自分を信頼することにつながります。

行動する覚悟、行動しない覚悟。

行動しないで自分を抑えることも、「誰かや何かを守りたい、自分は犠牲になってでも」という覚悟です。

「覚悟」があれば結果がどうなろうと後悔はしないものです。

「〇〇さんが言っていたから・・・」などと誰かの意見に従って「うまくいかなかったのは〇〇さんのせい。やめときゃ良かった」というのは覚悟がなかったからです。

そして、自分でなかなか決断できないという時、本当のところで自分はどう望んでいるのか心を掘り下げる作業が必要になります。

そのやるという決断・やらないという決断を支えてくれるのが「チャプレン」なのです。

 

最後に。みんな悩んで苦しんでいる。だから支えあって生きていく。

今回の病室で念仏を唱えないでください 第3話は、人生が苦しくなり、生きている価値がないと自らのいのちを断とうとしたが助けられ、愛されて必要とされていることがわかった者、誰かを救おうとしてやむにやまれない気持ちで危険な現場に飛び込んだ結果、人を助けた代わりに自分はいのちを失った者など、深く考えさせられる内容でした。

そして医師としてチャプレンとしての葛藤、一人の人間としての葛藤など職業としてそれを「やるのか」「やらないのか」、一人の人間としてはどうなのか。

なんのためにその仕事をしているのか。

役割でその仕事をしているのか、もはやその仕事そのものが生きる意味なのか。

なんのために生きているのか。

もしかすると今まで自分が大事に守ってきたやり方や価値観は、他の人にとっては全く通用しないかもしれない。それどころか迷惑をかけているのかもしれない。

「あの人の言ってること、今まで理解できなかったけど、ちょっとわかったかもしれない・・・。」

大事にしている価値観が自分とは異なっていたとしても、同じ方向を向いていることには変わらない。

そしてお互いに少し歩み寄り、気持ちが通じ合えることで、少し心が救われることもある。

読んでくださりありがとうございました。

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