※画像は故岡部健先生。
終末期におけるスピリチュアルペイン
スピリチュアルケアが網羅するのは生まれてから死ぬまでの人間生活全般です。
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仏教では生老病死どれもが「苦」、すなわち生きていくこと自体が「苦」とされています。
人生の最後、この世で生きている者の中で誰一人体験したことのない「死」。
人生の最後ではその「死」に一人で向き合っていかなければなりませんが、そばで誰かが真剣に寄り添ってくれたら、いくらかは心がらくになるのではないでしょうか。
スピリチュアルケアが実践されている現場の多くがこの終末期のケアでもあります。
対象は具体的には、命の危機が迫っている患者さんという場合が多く、そのご家族もケアの対象に含まれます。
エリザベス・キュブラー・ロスの死の受容のプロセス
とても有名ですね。おもに5段階をたどるといわれていますが、個人個人で千差万別。決してこの順番通りにいくものではありませんし、順番がぐちゃぐちゃになったり、一つのところでとどまっていたりということもあります。
死に直面した際に人間はどのような気持ちを抱きくのかという枠組みを理解するために知っておいたらいいですよというものです。
もちろん枠組みだからといってこれに人間を当てはめ「あなたは今怒りの段階だからもう少ししたら取引の段階に移行していきますよ」などというのは論外です。大事なのは目の前の人間がどのような苦悩にさいなまれているのか、それを理解する際の一つの道具としてヒントになることもあるというとらえ方でいいかと思います。
第1段階 「否認」
患者は大きな衝撃を受け、自分が死ぬということはないはずだと否認する段階。「仮にそうだとしても、特効薬が発明されて自分は助かるのではないか」といった部分的否認の形をとる場合もある。
第2段階 「怒り」
なぜ自分がこんな目に遭うのか、死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階。
第3段階 「取引」
延命への取引である。「悪いところはすべて改めるので何とか命だけは助けてほしい」あるいは「もう数ヶ月生かしてくれればどんなことでもする」などと死なずにすむように取引を試みる。神(絶対的なもの)にすがろうとする状態。
第4段階 「抑うつ」
取引が無駄と認識し、運命に対し無力さを感じ、失望し、ひどい抑うつに襲われなにもできなくなる段階。すべてに絶望を感じ、間歇的に「部分的悲嘆」のプロセスへと移行する。
第5段階 「受容」
部分的悲嘆のプロセスと並行し、死を受容する最終段階へ入っていく。最終的に自分が死に行くことを受け入れるが、同時に一縷の希望も捨てきれない場合もある。受容段階の後半には、突然すべてを悟った解脱の境地が現れる。希望ともきっぱりと別れを告げ、安らかに死を受け入れる。
生きたいという思いに寄り添う。死にたいという思いに寄り添う。
今回はこの本を紹介させていただきます。
終末期、死に直面しているという事実は共通していても、その中身はそれぞれ異なります。
抱える痛みも異なり、家族関係や生きてきた上で支えにしてきた価値観も違います。
相手の世界に入っていき、相手の価値観を受け止めることが大切です。
人工栄養などできる限りの医療的措置をしてもらって、長生きしたいという思いを抱く方もいらっしゃれば、家族に迷惑がかかるからと治療をやめたいという方もいらっしゃいます。
延命に対する思いもそれぞれ異なり、生前に意思を伝えていたとしても、いざご家族がそれに向き合った際にはその意思が聞き届けられないなどという状況もあります。
その人自身がどんなことを大切にしているのか、その人が自分らしくいられるにはどうすればいいのか。
いのちの砂時計―終末期医療はいま (新潮文庫)の目次です。
まえがき
第一章
終末期医療の最前線 苦悩する医師たち
五十人以上の呼吸器を外した 家族の気持ちを第一に
警察官の言葉に緊張 殺人罪とのはざまで
判断の基準は? 戸惑いと混迷の終末期医療
救急車呼んでごめんね
家族の意思で失われた生きるチャンス
「長生きしたい」 人工栄養でつなぐ命
治療だけがすべてか 死と向き合う医師
支え切る「看取り看護」 特養で自然体の最期を
読者から▶「最期」の選択にさまざまな思い
読者訪問▶延命がすべてではない 父の思い受け止めて決断
インタビュー▶社会全体で議論を 故遠藤周作氏の妻、順子さんに聞く
第二章
小さな命を抱きしめて 悩み抜き、輝きを模索する
苦しむわが子に「もっと生きて」は親のエゴ?
病名だけであきらめないで ”奇跡”の命、三歳に
凱晴君のママから▶悲しくても笑顔で
抱っこのぬくもりに「わが子」を実感 NICUで結ぶ親子の絆
一日でも長く、この子らしく生きて
読者訪問▶語り合って「誕生死」の体験を共有する
読者から▶「何が幸せ」答えなく
第三章
過酷な難病ALSと向き合う それぞれの選択
息子に代わり母が呼吸器外しを
ALS患者の意思に医療はどう応えるか
「生きたい」を口に出せず
娘たちのために。一人で生き抜きたい
呼吸器をつけない患者を支える
最期の時は自分で決める
死ぬ権利より、生きられる社会を
第四章
「人生の最終章」とどう描くか 識者に聞く
「悩まない医療」は駄目(東大大学院教授・樋口範雄氏)
尊厳死法制化で「無言の圧力」が(患者家族会・穏土ちとせ氏)
在宅医療のコストも議論すべき(京大副学長・西村周三氏)
家でその人らしい最期を(訪問看護師・押川真貴子氏)
「人生の最終章」支える医療を(作家・柳田邦男氏)
第五章
ドヤの街、山谷で旅立つ ここが人生の終着駅
板前人生を生き直した最後の一カ月
「七三一部隊」の重荷を下して旅立つ
「死にたい」は寂しいから ドヤ回る訪問看護師
亡き恋人がくれた天職
往復書簡▶取材した人・取材された人
第六章
救える命、救えない命 様々な「格差」
東京だからあなたは助かった
遠い医療 「保険内から医者にかかれへん」
がんの誤診も「地方の水準」? 「宣告」から生還して憤り
五十人待ちの障害児施設
「死ぬまでに島に」の願いかなわず、本土の施設へ
たった一人の島の看護師 抗がん剤飲み「待っている人がいる」
第七章
がんで逝く、がんを生きる 残された時を家族とともに
生まれ変わったら、最後まで一緒に
「なんでいってくれんかったの」 余命告げず、今も自責の念
病院で断たれる家族とのつながり 外来患者を在宅で
「アンドロメダもひとっ飛び」、子を守る思いを絵に
大好きな海のそばで普通に暮らしながら
三人の主治医が「戦友」 「命の砂時計」見つめながら
読者から▶家族と自分のために強く生きる
読者手記▶「結婚式、楽しかった」
読者訪問▶「がんサロン」で語り合い、笑って生きる
第八章
人生の最期に結び合う絆 感謝と別れがひとつになるとき
孤独癒やす「心の泉」に 全盲の「傾聴ボランティア」
子供たちの笑い声が響く「家」 デイケアで迎える最期
在宅ホスピスで感謝と別れがひとつに
終章
幸せな最期、それを支える医療 対談=鎌田實・上野千鶴子
取材後記 あとがきに代えて
文庫版あとがき
解説 柳田邦男
今日もありがとうございました。