以外、2019年6月15日執筆記事。なんと守護霊らしき存在からメッセージもらってました。その部分、いま読んでも心に響きます!
新しい環境、初めてする仕事の種類に慣れることに大変で完全にバランスが崩れた。
環境が変わるってストレス。
覚えること多いのもストレス。
今の仕事は「スキル重視」であって心、たましいが喜ぶものとは違う。それもストレス。
今唯一ありがたいのは職場の人達が親切ということでしょうか。
私なりに心を込めて、目の前の人に愛を込めて接することで、自分自身をどうにか保てているような気がします。
でも結構もうしんどい。大半がPC作業のため頭やら首やらが痛い。
一度自分の本質、素の自分、自己一致した自分というものを体験してしまったからには、自己不一致の状態がしんどくてたまらない。
生死の危機や愛する人の死別、そのほかにも自分の生き方をたましいの底から揺さぶられる、問われるような深い体験をし、自分の中から答えのようなものを見つけた人にとって、それ以前の生き方、やり方ではもうやっていけない、しんどくてたまらないという状態になるのではないか。
またスピリチュアルケアの訓練を受けた人たちにも共通するものだと思う。
スピリチュアルケアの訓練を受ける人の中には、自身の苦悩が理由でそういった道に引き寄せられたという方も多い。そういった体験が無くても人間の苦悩や心の深い次元、スピリチュアルペインといったものに興味・関心がある方が訓練を受ける。
その訓練を通して、より純粋な自分、ありのままの自分に近づいていく。
普段の生活では社会に適応するために「取り繕うこと」が必要かもしれないが、スピリチュアルケアやグリーフケアの現場ではそれがむしろ邪魔になる。
深い苦悩を抱えた人たち、解決できない心の痛みを抱えた人たちに向き合うには、素の自分でいることが求められる。
そのため、訓練を通して、素の自分を覆い隠すようにかぶっている「殻」を脱いでいくプロセスを体験し、それは多くの場合「身ぐるみを引きはがされる」ような激痛を伴うものでもあるが、いったんそれから解放されるともう「殻」はいらなくなる。
素の自分に近づいていくと「殻」があることの方がしんどくなる。素の自分に近づいていけばいくほど、その状態が快適で自然で、生き生きとした生命力に触れている感覚になる。
心がとらわれから解放されると、感情の起伏が平たんになるのでは?と想像する人もいるだろうが、それは人によって異なるのだと思う。
個人個人の個性により近づいていくのだと思うので、もともとの素が穏やかな人はそうなるだろうし、本来は感情の起伏が激しいのに抑えてきた私のようなタイプは、本来の気質に戻るのではないかと思う。
私の場合はむしろ感情を感じる、感性の働きが戻ってきたという感覚。
振り返ってみると、「感情」が生き生きと現れてくるのがスピリチュアルケアの訓練だったなあと。ということは、ほとんどの人の場合、怒りも悲しみも、喜びも、あらゆる感情を結構強く感じられるようになるのかもしれない。
ただ、苦悩にいる人との違いは「その感情にとらわれることが少ない」ということではないか。
怒りだったり、悲しみだったり、くやしさだったり、そういった「痛み」を伴う感情を深く感じたとしても、それに巻き込まれて自分自身がコントロールされるということが少なくなってくる。
そういった感情を感じたとしてもぱっと手放すことができ、とらわれない。
苦悩のさなかにいる人は、その苦悩にとらわれ、縛られている状態が長く続く。だからしんどい。
正直いうと今の私もそういった状態。
今年の2月に4回目の研修を受け、その後結構いい感じで来てたにもかかわらず、一気に前の自分に引き戻された。
感覚としては自分を生かして生きていけるまで「あと一歩か二歩」だった。
「外の状況が・・・・」と言い訳もしたかったが、結局は「自分の心」に負けてしまったのではないかと感じている。
いや、もうそれしかない。
5月に急激に気力が無くなり、お金の心配に心がとらわれてしまった。
「やられてしまった!」と今になって思う。
本当の自分で生きていける、あと少し、といったところで自分の心の中にまだあった「そうはさせない」「お前には無理」といった本来の自分を殺すような、逆向きの力が働いたように感じる。
誰の中にでもあるのだろうが、人によってその強弱は異なる。
心にインストールされてしまった刷り込み
・お前に大した力はない
・お前は小さな人間
・お前の感覚が間違いで、周りや社会の価値観が正しい。それに合わせろ
・我慢して、努力して自分を環境に合わせろ
・周囲の望む自分になれ
・お前はお前であってはいけない
・自分の大切にしているもの、こと、価値観を否定される
私以外にも、こういった「刷り込み」を育ってくる環境の中でインストールされてしまった人は多いであろう。「アダルトチルドレン」と言われる機能不全家族の中で育った人たちは特に。
とにかく生きづらい。
理由はわからないけどいつも疲れている。
他人の機嫌を優先し、自分の機嫌は後回し。
私の場合は生死をさまよった際にオセロの黒が一気に全部白にひっくり返るよう劇的な気づきがあった。その後また以前の「社会の枠にはまった」状態に行きつ戻りつしながら、それでもスピリチュアルケアの訓練を受けるにつれ、徐々に「本来の自分」に戻っていった。
そんな自分であっても、ここまで歩んできて、あともう少しといった感覚があったにも関わらず、「そうはさせない」という幼少期からの家庭環境で「インストールされたプログラム」の働きがいかに強固であるか身をもって体験。
「素の状態」の軽やかさ、「自己一致しているときの力の抜けた自然な状態」を知っているだけに、
「社会のルールに合わせなくては」
「さまざまな決まりに沿って、手順に沿ってやらなくては」
「思っても
「人間側がルールや形式、手順、作業を道具として使うことができたららくなのに、真逆な感覚。手順や作業に人間が使われている。」
こういったことがしんどくてたまらない。
必要以上に「取り繕う」ということがしんどい。
人に対する敬意や尊敬は必要だし、素直に正直に伝えればいいのだろうけど、それが実際感じている以上に、飾りまくった言葉、手順で表さないといけないのはうそでしかないのではないか。
こんなどうでもいいことしたくない。
素に近づくということは、自分にうそをつけなくなるし、ごまかしがきかなくなるということでもある。
正確なところはわからないけれど、生まれ持った気質に戻る、たましいで生きていくということは、全体の中で自分の個性がそのままに生きてくる、それが全体にとっての役に立つということではないかと思う。
「私は本当の自分で生きていきたい」
「大丈夫、この状態は一時的なもの。今後ライフワークでちゃんとやっていけるように社会のルールとか、事務作業のスキルとか、今学ばせているところなんだよ。
その中には習得する必要のあるスキルもあるし、無駄なものもある。
あんたあれだけの体験してきて、グリーフケアの現場でも存在を認められてるんだし、もっと自信持っていいんだよ。
絶対その分野でやっていけるから。それ生かせるから。
今はしんどいだろうけど、そのしんどい状態を「素の自分で生きていくことの幸せ・充足を体験したことのあるあなたが」体験するからこそ、説得力のあるものになる。
別の人間になろうとして生きづらさを抱えている人たちにとっての光となる。
自己不一致した状態で生きていくことがいかに不自然でしんどく、生まれてきた意味から遠ざかっていき、生きる力を奪うのか、いのちの力を奪うものなのかを伝えなさい。
応援してるから頑張れ。支えになってくれる人、心癒される魅力的な人は周りにいっぱいいるだろう、私と私の仲間が出会いの縁を手配したんだ。あと少しの辛抱。いつものように時間カウントダウンしながらでもいいからね。とにかくあんたは大丈夫だから自分を信じなさい。」
「うん、頑張ってみようかな。守護霊さんありがとう。」
・・・・・これはチャネリングだろうか???
・・・・・私の思い込みが激しいだけ???
・・・・・とうとう頭がおかしくなったのだろうか???
生死をさまよって入院しているときも、こういったことができた。しかももっとダイレクトに。でも狂気と紙一重だったので怖くて能力を封印したのだ。
そうそう、あの時は「話のわかる医療者の方」がいて、「その感覚また戻ってくるよ」と言われたんだ。
頭がおかしくなったんじゃないことを祈る。
今は「お金を得るため」「子どものため」「家族、職場の人、目の前の人に私なりに愛情を込める」こういったことを支えにしてとにかくやっていくしかないので頑張る。
友人、知人、グリーフケア・スピリチュアルケアの現場で出会った人たちの存在が心の支え。
このブログのリピーターさんたちの存在が心の支え。
更新頻度が少なくなりますが、これからもブログは書き続けていきます。
読んでくださってありがとうございます。
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