学生時代の体験です。
恋愛の悩みを相談するために友達に手紙を書いたことがありました。
当時はインターネットはありましたが、携帯のメール機能はなく、よく手紙のやり取りをしていました。
毎回長くなっていた記憶がありますが、書いていくうちに自分で色んなことに気づくのですね。
私はこんなことに悩んでいるのか
どのようなことで傷ついたのか
相手にどうしてほしいのか
これからどういう風に付き合っていったらいいのか
どうして迷いの気持ちが出るのか
こう考えたらいいのではないか
手紙を書く前はモヤモヤと漠然としていたものが、書いているうちに明確になってくるのです。
「書いたら自分で気づくんだよね」という体験をその時に何度かしています。
そしてこれは私だけではなく、書くことが苦にならない人であればみんな体験していることのようにも思えます。
自分の本当の気持ちに集中しようという意識が働くので、普段雑音にまみれてキャッチできていない本当の気持ちに気づいたりします。
また書いた後にそれを読むことで、自分のことを客観的に捉えることができます。
悩みの原因になっている相手のことも、例えば書く前は怒りを感じていたとしても、相手の背景や動機などにも心を配る余裕がでてくることもあります。
心を深く探っていくと、相手のことも思いやりを持った目で見ることができたりもします。
これも一種の気づきです。
無理に自分を納得させて、怒りを収めましょうということではありません。
怒りがある場合はそれは一体何を訴えているものなのか、どんなことを望んでいて怒りを感じているのか、といった怒りの元となっている本当の望みに気づけるよう見ていったらいいですね。
書くという作業を続けていると、最初は表面的なことしか出てこなかったものが、だんだん本質的なものが出てくるように変わってきます。
誰かに話すという作業も似たようなプロセスかと思いますが、自分のことを振り返り、それが結果としてケアになるのですね。
セルフケア、一人カウンセリングです。
それまで見過ごしていたり、こぼれ落ちてしまっていた本当の気持ちに気づくことができます。
途中で色々なことを思い出し、涙が出てきたり、書けなくなったりということもあります。
そのこと自体、気づきにつながる現象です。
そして、書いた直後に読むと客観的に自分を見つめることができますが、時間が経ってから読むのもまた発見があります。
自分で書いたものであっても読むと癒されるのですね。
どのような心理状態で書いたかにもよります。雑念だらけで頭の考えばかりが優位になった状態でが書かれたものにはそのような力が感じられません。ただ、当時の状態と現在の状態の比較はできるので、発見はあります。
「この時は不満だらけだったな」とか。
「感情を切り捨ててたんだな」とか。
やっつけで書いたものや表面的な事柄でとどまっているものではなく、心の深いところから書いているものにはそのような力があるということです。
自分で書いたということは、他人が書いたものよりも自分の文章が一番通じやすく、心に作用しやすいのですね。
あなたのことは他人よりもあなた自身が一番よくわかっているということ。だから通じやすい。
誰もがすでに癒しの力を持っています。
読んでくださりありがとうございました。