心のケアに携わっていると「偉いね~」と言われることが多いけど、偉くないんです
今現在、遺族会やNPOなどで、深い悲しみ、苦しみを抱えている方たちの話を聴かせていただく活動をしています。
そのような活動をしているということを人に説明した時にたまに言われるのが「偉いね」という言葉。「人のためにそのような活動をしていて素晴らしい」ということも言われます。
このような活動は確かに必要で、誰もができることではありませんが、私の場合はこのような活動が好きでやっています。
自分が自分でいられる場がたまたま人の心やいのち、たましいに関することに携わる現場だったりそのような本を読んエでいる時だったり、そのような文章を書いたりしている時ということになります。
私にとっては一番自然でいられ、無理をすることもなく、取り繕うこともなく、本当にらくにいられる場ということです。
人から見ると頑張って努力して、人のためにボランティアして偉いねと見えるかもしれませんが、偉いのではなく、そうすることが自分にとって一番自然だからそうしているというだけです。
ここまでくるにはそれなりに大変でしたし、素の自分ていられるようになるには、いらないノイズを除けることも必要で、その作業は七転八倒しますが、痛みを通過し、素でいられるようになった状態では、自由に好きなことをやっているという感覚です。
「深海魚」に例えるとわかりやすいかもしれません。
浅い海で生きている魚も、深い海底で生きている魚も、どっちが偉いなんていうのはなく、そこにいるのがその魚にとって一番自然な状態です。
私は自分を「深海魚」だとすると、今やっている心のケア、グリーフケア、スピリチュアルケアなどと呼ばれる活動は、「深海」で行われることが多く、私は元々そこに適応しているので、自分の領域で活動できる喜びを感じています。
ただただ自分でいることが、同時に他者の役にも立っている(役に立っていたいですね)ということになります。
自分と会わない環境、能力を生かせない仕事をしないといけない時など、無理して頑張って、努力して・・・。
努力の割にはそれが実力として反映されず、十分な成果が現れないからそのため人にも大して喜んでもらえない。
「ザ・頭脳労働」と呼ばれる仕事が苦手ですし、ミスも多くなります。
法律や税金、保険などの知識的なことも苦手です。
人の心がすぐにわかってしまうので、相手が躊躇しているのがわかりつつセールスをしないといけないという仕事も無理です。
お金を得るためであっても、マニュアル対応で済んでしまうような型にはめられた仕事をするのもかなりしんどいです。
人によってはそのような仕事が好きで、そのような仕事をしている時が一番自分らしくいられるというのもわかります。
私が「すごいなぁ」と思うのはむしろ「無理をして合わない仕事をしている人」です。
家族のためにしんどい思いを抱えながら仕事をしている方はいっぱいいるわけで、好きでもない仕事を生活のためにやっているという人は多いでしょう。
仕事はしんどいけど、家族のために一生懸命働いているという方は本当にすごいと思います。
ある活動や仕事をする際に「本心を偽って」「自己不一致を抱えたまま」「我慢しながら」やっている人を見ると「すごいな」と思いますし、同時にしんどいだろうな、もっと本心本音で生きたらいいのにとも思います。
子どもたちの春休みが長くて、そのためいろんなことがごちゃごちゃとして忙しく、春休み中は家庭では「深海魚」でいられませんでした。
テレビの音とyoutubeの音、苦痛でした。
他は昼ごはんの用意だったり、何から何まで私がやる羽目になる多すぎる家事。
とてもしんどかったです(笑)。
一人の時間は絶対必要。
ブログを書くときも深海に潜る方が快適で、そうすることによって書きたい内容、表現したい感情に「チューニング」をして、例えば辛い文章を書くんだったら実際に「辛い気分に自分を持っていって」感情を揺らしながら書くのですが、それができないことがめちゃしんどかったです。
チューニングできないので、そういう時は「過去記事リサイクル」とか「自分のことを書いた日記的な記事」という状態になります。
今書いている文章も「深海」で書いたものではなく、深海魚なのに波打ち際で書かざるを得なくて、決して快適な状態ではなく、それが読む人に伝わっているかもしれません。
以上、読んでくださってありがとうございます。