使命・天職・ミッション・ライフワーク・ダルマ。私にもあるの?
あなたは今まで、自分の使命や生まれてきた意味について考えたことはありますか?
私は28歳まで全くそのようなことを考えたこともなく暮らしておりましたが、生死をさまよった際に未来の自分の姿を見ました。それまで「点」でしかなかったものが「線」でつながり、深い気づきが訪れました。
同時に宗教的体験をし、人間として生活しているこの世界に折り重なるように、別の次元が存在していることをありありと感じたのです。
以来、真実の世界とは一体何なのか?あの体験は頭の中の妄想だったのだろうか?妄想にしては何年経っても忘れられない・・・・。私の体験したことを信じていいのか・・・。何年も探求する日々が続きました。
こんなこと思ったことありませんか?
- 天職・使命・ライフワーク・ミッション、自分が生まれてきた意味、この世で果たす役割ってあるのだろうか?
- どんなことが使命で、それはどうやって見分けるのだろう?
- やりたいことが使命だって思っていいの?
- 人から頼まれたこと?勧められたこと?
- 「これが私の使命かも」って思ってやってきたことがある。けど、いつも何かに追われている気がするし、あんまり幸せを感じないけど、使命ってそういうもんなの?
- 家族のため、社会のためって思って、我慢して我慢して、そうやって自分に無理強いをさせ、自分が喜ぶことよりも他人が喜ぶことを優先するのが使命なの?
使命・天命・天職。このような言葉からはなにか大きなことをしなければならないのかという印象も感じますが、
やっていて自分が生きがいを感じること、喜びの心からやってしまうこと、無理せずに自然とできかつ誰かの幸せにつながることが天職といえるででしょう。
誰に頼まれたわけでもないのに、なぜかそれをやらずにいられない。そしてそれは誰かをちょっとなごませたり、ほっとさせたり、というような些細なことも含まれます。
必ずしも、名前のある「職業」とは限りません。
有名である必要もありません。
健康であっても、病気や障害を持っていたとしても、余命がわずかだとしても、あなたがあなたのままでいられて、あなたのそばにいる人があなたの前では心を許し、素のままでいられる。
シンプルですが、それだけで自分を生きている、使命を生きているともいえるのではないでしょうか。またシンプルで誰もが即できることでもあり、頭で考えすぎると逆に難しいことでもあるかと思います。
今、ここ目の前の人や状況に心を開き、素の自分を伝えていく。この繰り返しが使命、生まれてきた意味につながっていくのでしょう。
宗教的な言い方をすると「神の意志に沿っていきる」ということ。
人それぞれ「ビリーフ」「思い込み」「その人だけの枠組み」があります。自身の心に向き合い、ある程度はそれらから自由になることでより素の自分を表現できるようになり、自由度が増していきます。
しかし人間である限り、抱えている思い込みをゼロにすることはできません。
そういったものを抱える中で最も自分が自分でいられることを、自分が持っている枠組みの中で最善を尽くすことが、自分の人生を満足に生きることにつながるかと思います。
宗教家や天職を生きているその道のプロといった方の言葉や体験を紹介
人間を超えた次元のことや宗教、スピリチュアルに詳しい3人の先生のわかりやすい言葉を紹介します。
※こういった先生方は使命や天命に関して詳しいですが、使命を生きている人、天命を生きている人がみなそういったことに精通しているわけではありません。
使命・天命といったことなど考えたこともないけれども、「それを生きている」という人はたくさんいらっしゃると思います。
ディーパック・チョプラ氏
チョプラ先生は「ダルマ」という表現を使っています。
著書 THE SEVEN SPIRITUAL LAWS OF SUCCESS の中で「ダルマ」というサンスクリット語で「人生の目的」を表す言葉がでてきます。
日本語の本はこちらです。富と成功をもたらす7つの法則 (角川文庫)
英語で書いてある内容を要約してみました。
一人ひとり、その人にしか表現することのできない才能がある。
・私たちは肉体をまとった「たましい」「スピリチュアル」な存在。誰もが内に「神聖」を宿していて、それが生まれ出て、表現されることを望んでいる。
・誰もがその人にしか表現することのできない才能を持っている。いわば「あなただからこそ」の才能でありそれを表現できる人は地球上にあなたしかいない。それをやっている時は時間を忘れる。
・最小限の努力で最大の益が得られるもの。
・他者への貢献になるもの。
「最小限の努力で最大の益が得られるもの」つまり、人から見たらとっても努力している風にしか見えなくても、本人は無理せず自然にできてしまうのですね。最大の益とは、もちろんお金も含みますが、自分にとっての喜びでしょう。
本山博氏
本山先生の著書「祈りと救い」から引用。
当時はちょうど終戦間もない頃で、共産主義とかそういうのが盛んな時代で、宗教とか神秘主義というのは非常に排斥されていて、大学の中でもそういうことを言うと要するに残れなかった時代なのです。
ところが、どうしても宗教とか神秘主義とかという研究がしたくてしたくてしようがないようになんとなくなってしまうのです。どういうわけかあむにやまれないような気持になって、それが自分をしょっちゅうそっちの方に引きずっていくのです。こういうことをやっていたのでは大学へは残れない。大学からつまみ出されるのだからやめようと思うのに、どうしてもやめられない。
中略
やむにやまれない気持ちは消さないことですね。やはりそれは非常に大事です。それこそやはり生まれてきた理由のようなものだし、それを果たすのがやはり生まれてきた理由だと思うから、それを目先の理由で変えてしまうのでは、やはりその人は生まれてきた甲斐がないと思うのです。
芳村思風氏
この方のことは全く存じ上げていないのですが、岡部明美氏の著書に掲載されてありましたので、該当箇所を引用します。
約束された道 ──いのちの仕事に出会うとき、歓びの人生がはじまる (みらいへの教育)p.200
自分の才能の見つけ方
人間はみな自分だけの天分・素質(才能・役割・使命)を持って生まれてきます。その天分・素質は”からだと感性”を使って発見できます。からだを使うというのは、体験すること、行動すること。感性というのは、その体験の中で実感した真実ということです。頭でいくら考えても、自分の本当の天分・素質=才能は見つかりません。
〈天分・素質を発見する五つの方法〉
(一)やってみたら、好きになるかどうか。
(二)やってみたら、興味、関心が湧くかどうか。
(三)やってみたら、得手、得意と思えるかどうか。
(四)やってみたら、他人よりもいつも自分の方がよくできるかどうか。
(五)真剣に取り組んだら、問題意識がどんどん湧いてくるかどうか。
この五つの方法で見つけていくのです。どれが一番天分の多いところか。一番強烈な実感が湧いてくるところが天分のツボ。いのちのつかいどころなのです。
これは言葉だけを見ると普通のことのようですが、あなたの周りで、あるいは社会の中で、この人は天命、使命を生きていると思う人を見てください。そういう人は、間違いなく、これらのツボを特化させて並外れた努力をしてきた人なのです。人によってはこのうち二つ、三つ、時に五つ当てはまるプロフェッショナルもいます。でも一つでも十分な天分のツボなのです。
「一つでも当てはまれば」となるとちょっと安心するというか、得意でなくても「好き」であれば十分ということですね。
使命や天命、天職などといった言葉からはどこか遠いところにありそうなイメージを抱かれるかもしれませんが、自分という一番近くにあるもの、すでにたましいが知っているものです。頭で考えてもわからないともおっしゃっていますね。
「あれが使命?これが使命?」
自分が心地いいと感じられることをまずはやりましょう。
今回は3名の先生方の言葉を紹介しました。今後別の方の言葉も紹介していこうと思います。
読んでくださりありがとうございました。
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