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3次元の個の世界は善悪の世界でもある

真我、真実の自己に近づくにつれ、振り子のように陰も陽も強くなるのではないかと思います。

真実の次元では全ての存在がワンネスで一つのものであっても、3次元のこの世では個として分離しています。

私とあなたは別の人間という意識でいることが当たり前の世界です。

しかし、人間の意識が本来の真我に目覚めると、私とあなたの区別はなくなり、すべてが一つだったのだと思い出します。

真我に目覚めるには、「私は個として存在している」というビリーフから自由になることが必要ですが、それが自我の死によってもたらされることが多いのですね。

自我の死とは自分の力ではもう何もできない、と絶望を感じるところまで追い込まれた状態であったり、あるいは宗教的な修行を通してその境地を目指したり。

私たちは自我の死という言葉を知らなくても、もともと真我そのものであり、それを思い出す流れに乗っているともいえます。

ですから、小さな自我の死はみな体験していることで、いくつかの人生を送る中に少しずつそこに向かっているのです。

私=世界そのものだった。

全てが一つ、同じもの。

体験してみたら当たり前で最も自然な状態がそれだとは言われますが、個として自我の働き優先で生きている私たちにとって、それは最も遠いように感じるものでもあります。

本当は自分とその状態が離れたことはないはずですが、その境地目指して長い探求を続けてしまうのですね。

さて、その長い探求の途中では、個としての殻を1枚ずつ破っていくことになります。

ビリーフを解放していくのですね。

肉体中心だった次元から、感情が主に働く次元、知的作用が主に働く次元、叡智や法則がわかる次元、そして他の存在とつながりを感じる次元、真我の次元という風に次元が上がっていきます。

この表現は教えによってさまざまな言い方がされていますが、だいたい上記のような感じで言われています。

(肉体、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体、スピリチュアル体、ブッディ体など。)

個を超えるのは、真我の次元の手前ということになりますが、そこに行きつく過程では、心が振り子のように揺れることも多いのではないかと個人的に思います。

振り子のように揺れるとは、利他的な状態、利己的な状態のふり幅が大きくなるのではということ。

神の望むよう、あるいは宇宙の流れに沿った生き方をしたい、という思いが強くなってくると思うのですが、そのような他者のために自分の命を使いたいという思いと、自分の不安を解消するため、自分の利己的な欲望を満たすため、などのような自分を守る心や利己的な心もまた強く働くのではないかと思うのです。

これは「個」を超えてワンネスの意識、真我の意識に到達しようとする際、そうさせまいと自我の抵抗が強く出るためです。

そして次元が高くなっていくにつれ、自我の抵抗も強くなっていきます。

次元が高くなっていくと、サイキックな能力や霊能力、ヒーリングパワーが発現するということも起こります。

これらは他者のために役立てることで、その人本来の生き方ができるのだと思うのですが、まだ個を超えていない段階だと、よっぽど意識し、自分を律していないと自我の働きも強まり、利己的な方向へと堕ちていくことが多いようです。

宗教者が信者の子どもたちに性的虐待をしていたというニュースは時々耳にしますし、霊能者の多くは途中からお金儲けに走ってしまうなどもよく言われていることです。

当初は宇宙の流れ、宇宙の意志に従っていて、それなりにパワーも身に着けてきた、霊的な能力もある、しかしいつのまにか自分の欲を満たすために他人を利用する、他人をモノのように扱うといった悪の方向に堕ちてしまうのですね・・・。

テロを起こした某宗教団体もありましたね。

逆の見方をすればそれだけ力があるということは言えるのだと思いますが・・・。

他者に危害を加えるといったことのほかにも、自分自身の気が狂う、精神病のような状態になることもあるようです。

ですので、本当のことをいうと瞑想や宗教的修行などで真我に達すること、悟りに達することの大切さが説かれていますが、途中の段階ではこのような危険もはらんでいるということです。

本物の宗教家になるにはそのような「魔」に出会わないようであればそれは本物とは言えないとおっしゃる先生もいますが、今は自我の殻を破って目覚めの方向に行く人間が多いように思うので、中には魔に堕ちてしまう人も多く出てくるのではと思います。

しかし「善悪」というのは個としての存在が成り立つ次元世界での判断ということになります。

私たちはこの世に生きているため、善悪の判断というのはとても大事ですが、個を超えた真我の次元から見ると善も悪も同じものです。その次元からみると善悪も何も無いということになります。

個を超えるには悪と呼ばれる自我の働き、善悪両方とも自分の中に統合するということになるのでしょうか。

超える前には大変な恐怖を伴うことがあると聞きますが(実際に似たような体験をしています)、最後はやはり自分の力、自我ではどうすることもできないと諦め、すべてにゆだねる、明け渡すことで開けてくると言われていますね。

 

今日も読んでくださりありがとうございました。

 

 

 

 

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