欲って時間が経つと薄れていくことがありますね。
執着が無くなるというか、叶っても叶わなくてもどっちでも良くなることがあります。
逆にいつまでも執着しているとなかなか叶いません。
引き寄せや願望実現ではおなじみの内容ですね。
今回の話は似ているようでちょっと違ってて、願望には執着しなくなったけど、願いが叶ったわけでもなく(制限の範囲内では叶った)、願望を抱かなくなること自体、それとがむしゃらにやらなかったこと自体に対しての喪失についてです。
仕事関係とは別で、あることに対して3年くらい願望を持っていましたが、それが最近折り合いがつきました。
個人的な人間関係を含んだことなので、詳しくは書けません。
折り合いをつけようと思ってそうなったのではなく、自然と。
そのことに対して今、欲や願望があるかというと、本当に自然と消えていった感じ。
3年間、色々と制限のある中、精一杯のことをしてきて、手ごたえも感じつつ。
それでも望む形を追い求めると今の生活がぐちゃぐちゃになることはわかっていたので、本当にできることをできる範囲で精一杯やっただけ。
それが、1月の下旬頃から望むことすらもう無くなってしまったというか。
そのことに対して、「あの時なあんなに望んでいたのに」ととても寂しく感じ、一種の喪失を体験しています。
「本当の意味で私は精一杯やったのか」
「制限の中の精一杯。それは制限があるってことがもう諦めを意味しているんじゃないのか」
「人生を賭けた精一杯を体験させてあげても良かったのではないか」
「人生を賭けた精一杯とは、制限をぶち壊すことではないか」
「守りに入るのも大事だけど、もっと自分に挑戦させてあげたらよかったのではないか」
「制限をぶち壊すこともできず、気がついたらその願い自体を感じなくなってしまったって、本当に寂しい」
そんな気持ちを感じています。
やっぱり今一番きつく感じているのは、自分に挑戦させてあげなかったことでしょうか。
願望があっても叶わない時って辛い思いもしますが、願望があること自体、叶わないことですら、やきもきする気持ちをたましいの奥では楽しんでいるのでしょうね。
わけのわからない日記になってしまいましたね。
昨日、今日とこのことを考えながら、家の近所をカウンセリングルームのチラシのポスティングに回っていました。
今日もお読みくださりありがとうございました。