2012年に書いた記事。
本質的には今も変わっていないかな~。
人のために
入院中の様々な経験から、人のために生きるのが人生だと感じた。
「あなたは私、私はあなた」という感覚になったからだ。
・・・・・・他人を自分だと思って出来るだけのことをしよう。
自分が他人のためにしたことが、他人に影響を与える・・・・・・それが「生きる」ということのような気がする。
3人目の赤ちゃんは短い一生を終えたけど、ほんの短い生涯で私や周りの人に大きな影響を与え、気づきをもたらした。
死産という形ではあったけど、確かにそこには「いのち」が存在し、肉体は無くなってもそれは生きている。
・・・・・こう思ったのが退院後の今から5年半前。
「他人のために」という考えは今でも変わらないが、当時はまだ何が他人のためになることなのかについては漠然としていた。
入院中に見たあのヴィジョン、ビリビリときて自分の使命らしきものを見た体験は強烈で、退院後人の心を癒すような仕事をリサーチすることにした。
そんな中、自宅の教室は閉め、2007年幼稚園のPTA副会長、次の年は会長を経験。
それからワールドヴィジョンのチャイルドサポーターのボランティアに4年間携わった。
2009年からは塾の講師、大学の非常勤講師などを経験。
講師の仕事を選んだのは入院前から興味があったから。
2012年からは大学の非常勤講師を続けつつ、本格的に学校に通いグリーフケアを学ぶこととなった。
死産で亡くなった赤ちゃんのために、お見送りの服を作るボランティアも経験した(今は中々作ることができていない)。
最近は「人のため」という概念が最近ははっきりとしてきた。
他人のわがままや不満、利己的な心を満たすためではなく、もっと心の奥からの魂の叫びに寄り添ったり、その人の存在そのものを尊重することではないか。
その人がその人自身で生きられるよう、本当に大事なこと、やりたいことに気づくよう助言をするなど。
心よりもっと奥の魂、あるいは「いのち」のレベルで人と関わることが私のやりたいことだ。
人から求められたからといって、浅い表層レベルの要求、例えば一時的な娯楽を楽しむための援助とか、対した悩みではないグチのはけ口にされるなどということはやりたくない。
ダイレクトに人の深い部分と関わりたいのだと気づいた。