2012年に書いた記事が出てきたので掲載します。
近年まで好きなことイコール得意なことと捉え、深く考えたことがなかった。
しかし得意なことが必ずしも好きとは限らないということがわかった。
きっかけは本田健氏の「ユダヤ人大富豪の教え」を読んだことだ。
本田氏は「幸せな小金持ち」になる方法や、独自のお金に対する哲学の本を書いている。
ただお金をたくさん稼げばいいという考えではなく、仕事を通していかに幸せな気分を味わえるかという点を重視している。
好きなことをとことん突き詰め、その好きなことで人に喜んでもらい、結果お金がついてくる。
好きなことを実際に「稼げる仕事」に方法も必要で、趣味レベルでとどまらせずにお金にするヒントを書いた本もあるのでそちらも読んでみようと思う。
さて、この好きなことと得意なことの違いにようやく気づいた私だが、今の気持ちを書いておく。
5歳のときに英語を習い始め、学生時代は毎日英語の練習をし、大学も英語系、仕事も英語を使う仕事とずっとやってきたのだが、果たして英語が好きかというとそうでもないということがわかった。
小学生の頃は英語で外国人とやりとりしないな~と憧れていて英語を習っていたが中学高校と進むにつれ、教科の一つと捉えるようになってしまった。
コミュニケーションとして英語を使うのはもちろん楽しかったが、それよりも「自分を賢く見せるツール」となっていたのだ。悲しいことに。
英語でなにか伝えたいと思って勉強しているときは英語が面白く、勉強の対象そのものを好きになるという感じなのだが、テストで100点取りたいとか、資格試験に受かりたいとか、そういう目的があるときは英語の勉強は楽しみというより義務だった。
私の中では英語は得意だったため、得意イコール好きなのだと勘違いしていたように思う。 (ここでいう得意というのは私のほかの能力に比べて得意という意味で、料理やパソコン、スポーツなどに比べると得意という意味である。 他の人と比べたらまだまだ実力は低いのであくまで、自分の能力の中の比較である。 他人と比べると英語が得意とはとても言えない。)
確かに英語が「好き」と感じる部分もある。 だが、多くの時間を「苦痛すぎる練習」につぎ込んできたため、「好き」という気持ちよりも「他のことができなくなる特訓、足かせ」のように感じてしまう。
他に興味のあることに時間を割くなんてほとんど不可能だったし、「英語で可能性が広がる」イメージがあるが、逆に可能性を狭めてしまった感がある。
高校生のときは「口から出る言語の9割が英語」だった。
英語でコミュニケーションをするのは好きだが、そういう機会を持つのは少なく、独りで練習する時間がほとんどだった。
余談だが、高校3年間で男子生徒と話した時間は合計で約2分ほどだと思う(ちなみに共学)。
自分で「英語が好き」と思ってしまった要因の一つに「周囲の期待」もある。
英語の仕事をしたいと思っていたが、それは自分の感情ではなく親の感情だった。
それを自分の感情だと思い込んでいたが、自分の感情を深く見つめることをしなかったのだ。
親が理想としていることを自分の理想だと思い込んでしまったのだ。
私は24歳から英語を教える仕事をしているが、教える対象(英語)そのものにのめり込んでいて好きで好きでたまらない、という人が英語を教えるのには向いている。
対象にのめり込んでいない私が教える英語と、のめり込んでいる先生が教えるのとでは生徒への影響も異なってくるだろう。
英語が好きな人が教えると生徒の心に影響を与えるような情熱的な授業ができると思う。
英語の練習が苦痛だった私はやはり、淡々としてしまうことが多いのだ。
私は英語で何かを伝えたいとは思うが、やれ関係代名詞がどうのこうの、仮定法がどうのこうの等にはあんまり興味がわかない。 それよりも英語を使って人の心に影響を与えるということに興味がある。
言葉って「人の心に変化や影響を与えるもの」であってこそ、意義があると思う。
英語を使うのならやっぱり自分の心を伝えたい。
英語も日本語と同様、心を伝える手段なので、英語そのものに深い興味があるわけではないのだ。
勉強の対象そのものに興味があるのはやはりグリーフケアや人間の心理についてである。
これらは勉強をするという意識ではなく、ただ楽しいから本を読むといった風に自然に取り組んでいる。
得意なことを仕事にするのか好きなことを仕事にするのかで迷うところだが、自分の考えではなく「感情」を大事にしたいと思う。
仕事をやっていて「充実感」を感じるか「あ~あと1時間あるのか、早く帰りたいなあ」と感じるのか。
あるいは宝くじが当たったらこの仕事やめるって思うのか、続けたいって思うのか。
5年後に死ぬと仮定してどうしたいか。
命の時間が限られていると認識すると真剣に考えざるを得なくなる。
得意だが嫌いな仕事でお金を稼いでいるという人は多いのではないか。
生きていくためには収入が必要だし、好きなことはお金にならないという先入観もある。
しかし、毎日毎日、本当は嫌いな仕事をして楽しみは給料日だけというのは悲しい。
お金を稼ぐために自分に罰を与えているみたいに感じる。
5年、10年経って今の現状が続いていたら・・・・ やっぱイヤだ。