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故人からの贈り物② 心を開けない自分を子ども時代から責めていた

前回の記事の続きです。

関連記事:故人からの贈り物① 子ども時代を思い出し、自分の在り方について気づきがあった。

 

子ども時代、内気な性格がしんどさの原因かと思っていたのですが、原因は性格ではなく「在り方」だったんだと。

人といても私は心がそこにいない時が多かった。

だからしんどかったと気づきました。

 

 

そして、「今ここに心がいなければならない」

と思っている自分がいたと気づきました。

心が開いているのが善で、閉じているのが悪と。

閉じている私はダメなんだと。

 

心が開いているというのは、気持ちが相手の方を向いていて、閉じているのは自分の方を向いている。

 

子どもであれ誰であれ、心の奥の奥の奥では叡智につながっていて、どこかで気づいているのですよね。でも言語化ができないから、気づくまでモヤモヤを抱え続けることになるのですが。

 

「心がここにないことは悪いことだ」「心が閉じているのはダメだ」

と子どもの頃、心の奥の奥で既に知っていて、そう在りたくても在れない自分を意識の深いところで責め、否定していた

人と深く関われない自分、思うように楽しめない自分、

辛い時に辛いと言って誰かを頼って泣けない自分、さらけ出せない自分を否定していた。

 

否定していたことにすら自覚してなくて、それに気づいたのが28歳のあの宗教的体験の時。

関連記事:14. 神秘体験 とうとう鎮静剤を・・・

関連記事:スピリチュアルケアの個人面談。「登場人物が少ない」と言われて気づいたこと

 

心で気づけないことは、病気や人間関係のトラブルとなって、気づかそうとしてくる。

 

心が開けないのは、確かに生きづらいけど、それって悪いことなのか?

意識のベクトルが相手に向くのが良いことで、自分に向くのは悪いこと?

前者が愛の循環の中にいて、後者は自分の殻の中、エゴにとらわれている状態。

 

 

心がそこにあることで、生きやすいのは間違いない。

そしてスピリチュアルケアにおいても、相談者と共にいることが問われる。

ケアの場では、意識のベクトルが相手に向いているか、相手と共にいるかが問われるしその意識が必要。

我にとらわれず、神の愛や仏の慈悲を通すパイプになれるよう、精進することが求められる。

 

ここで少し話が横に逸れますが、潜在意識に抱いている思い込みが外の出来事として現れます。

このブログでも何度も言ってきました。

 

ということは、「今ここで心を開くことが大切」とスピリチュアルケアで学んだことというのも、

その種がすでに私の心の中にあって、それが芽を出したと考えられる。

 

幼少期からすでにそのことを潜在的には知っていて、熟した時に、外で出会う学びや出来事からの気づきとなって現れる。

 

グリーフケア研究所でお世話になって髙木慶子先生もおっしゃっていました。

 

「赤ちゃんの頃からスピリチュアルペインはある。

ターミナルの時にスピリチュアルペインが初めて現れるのではない。

赤ちゃんの頃から、生きてくるなかでずっと未完結のまま癒されず、解放されなかったスピリチュアルペインが、ターミナルの時に現れる。

だからスピリチュアルケアは、ターミナルの時にだけ必要なのではない。

赤ちゃんの頃からずっと必要。」

 

 

「心を開けない自分はダメだ」と幼少期すでに思っていて、「心を開くことが人と分かち合うために必要」と知っていた。

表層の意識ではわからないけれど、深層で知っていた。

 

それもまた、一つの価値観、ビリーフ、信念ですよね。

 

 

そして、スピリチュアルケアではそんな在り方が大事と学んだ。

それは私の抱えていた価値観が学びを通して現れたということでもある。

 

 

エゴにとらわれ、自分の欲求が優先になってしまう自分はダメだと。

相手へ向けるべき関心が、自分に向いてしまっていることを責めている自分。

 

 

でも相手と共にいられず、心ここにあらずの状態でも、それが悪とか間違いではないのですよね。

 

 

心を開けない人もいるし、そんな状態の時もある。

子ども時代の私のように。

今も、誰かと一緒にいても心がそこにないことがある。

 

 

それはそれでいいのではないか。

 

心が開けないというのは、それだけ自分の中にしんどさを抱えているということ。

しんどさを感じている本人が、どうすればいいのかわからなくなっているのですよね。

 

確かに、自分にも相手にも心を開いて、今ここに居られたら、本当に満たされるし、うんと幸せを感じられます。

 

私自身、今では心を開いて接することがずいぶんとできるようになり、人間関係が各段にらくになりました。

今回の内容は、亡くなった義兄の在り方から、子ども時代の自分を見つめることになり、気づいたことでした。

 

今でこそ、ずいぶん心を開けるようにはなりましたが、過去には開けなくて、子ども時代にすでに心の奥の奥の奥では自分を責めていたという気づきでした。

 

気づきはこれで終わりではなくまだ続きます。

 

お読みくださりありがとうございました。

 

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