前回の気づきの続きになります。
故人からの贈り物① 子ども時代を思い出し、自分の在り方について気づきがあった。
故人からの贈り物② 心を開けない自分を子ども時代から責めていた
義理の兄が亡くなり、いつもご機嫌で周囲を和ましていた彼の在り方を思い出し、私自身の気づきにつながりました。
今回は3記事目になります。
子ども時代、心を閉ざしていることが多く、生きづらかったのですが、それでも私にも優しい心があったと思い出しました。
そして、せっかく優しい気持ちがあるのに十分に生かせなかったこともあったな、と。
小学校高学年の頃、
友だち数人のグループの中にAちゃんというお金持ちの子がいました。
複数回、他の友達とAちゃんのおうちに遊びに行ったことがありました。
家が素敵なので、毎回テンションがあがり、ちょっとワクワクしたのを覚えています。
小6のある日、プールの時間に少し離れた場所からAちゃんを見ると頭に脱毛かと思われる箇所が見えました。
あれ?分け目が変になってる??
びっくりしたので何度か見てしまったのですが、結構大きな脱毛でした。
普段は全くわからず、水で濡れていたため目立ったのでしょう。
Aちゃん、病気かな?
すごく気になったのですが、誰もそのことに触れる子はおらず、私自身も「もしかしたら見間違えかもしれない」と思い、触れないようにしました。
その後、Aちゃんも何も変わらず、いつも通り。グループで仲良くしていました。
月日は過ぎて冬休みが終わり、3学期、Aちゃんが転校したと担任の先生から報告がありました。
私たちのグループはおろか、クラスメイトの誰にも何も連絡がなく、突然いなくなったのでした。
先生に聞いても転校先は教えてもらえず。
数週間経った頃、母親に内緒の話があると打ち明けられ、Aちゃん一家は夜逃げをしたと知りました。
うちの母の悪いところでもあるのですが、子どもに言う話じゃないですよね。
一体何のために、誰のために秘密を暴露するのか。
あまりにショックで、あの夏のプールの授業の時、Aちゃんの頭に脱毛があったのは、家庭が大変だったからなのかと。
おそらく大人同士のいざこざ、もめ事を側でずっと見てきて、辛いにも関わらず誰にも言えなかったのでしょう。
身体に症状が出るってよっぽどのこと。
学校ではいつもと変わらず気丈に振る舞い、でも心の中ではずっと耐えていたであろうAちゃんの辛さを思うと、その日の夜一人布団の中で涙が止まりませんでした。
今までAちゃんのことはあまり思い出すことはなかったのですが・・・・。
義兄の死によって、色々と内面が揺れ、自分を見つめることになりました。
子ども時代は引っ込み事案で、そのことを自覚なしに心の深いところで責めていたと前に書きました。
今回の気づきは、私にもにも友達を思いやる優しい気持ちがちょっとはあったんだ、
Aちゃんには何もすることができなかったけど、自分以外のことで泣くことができる優しさがあったのだという気づき。
今でこそ、ケアの仕事に関わるようになり、人から優しいと言っていただけるのですが、
これは自分の心を見つめ、自分に優しくしてきたので、満たされた分、他の人に対しても余裕が出てきたのです。
子ども時代から10代20代の頃まで、自分が優しいと思ったことはありませんでした。
親からはおとなしいとか、意地が悪いと言われることが多かったので(本当に意地悪だった。満たされていなかったためかと思われる)。
もしかするとこの程度のことは他の人なら普通のことで、人と比べたら優しいと言えないのかもしれませんし、もっと優しい人はいっぱいいるでしょう。
それでも、ちょっとは優しい心があったとわかり、ああ良かったと思いました。
もう一つ、小学校時代のエピソードを思い出しましたが、また別の機会に書こうと思います。
お読みくださりありがとうございました。