2013年執筆記事です。
生死をさまよった際に体験したいわゆる
「神秘体験」「宗教的体験」「覚醒体験」「一瞥体験」「変性意識」と呼ばれているスピリチュアル体験からの気づきです。
インスピレーションが勝手に降ってくる、心の中にわいてくる状態でした。
当時の感じた感覚そのまま書いています。
3.それまでの人生の意味がわかった
命の危機を体験し、体が回復してきたときです。
危ない峠は越えたものの家族の心配と不安な態度から、
相当な病気だったのだということがひしひしと伝わりました。
そんな状況ですから、昼間は穏やかな気分でいても夜個室で一人になると
「本当は回復していないんじゃないか。」
「もうすぐ死ぬのではないか。」
「白血球の数値といい、熱といい、本当は白血病なんじゃないか。」
などという妄想も現れてきます。
それでもテレビをつけるなどして気を紛らわせ、
朝になるとまた安心した気持ちになりました。
ところがある日突然、経験したことのない意識状態になったのです。
人生に起こったことの全てが分かる。
あの時のあれはこういう意味だったのか!
あの出来事がこの出来事に繋がっていたのか!
あれはあの出来事の伏線だったのか!
身の回りの全ての動きは常に完璧だ!
こんなことが頭の中に降ってくるのです。
全てがわかるような、わからないような不思議な感覚でした。
覚醒した状態と普段の状態が交互にやってくるようでした。
家族が見舞いにきたのでそのことを伝えようとしたのですが、
なぜか普段の感覚に戻ってしまい、
「あれ?さっきの感覚じゃない。」ととても不思議でした。
覚醒体験や神秘体験についてそれまで特に興味があったわけではありません。
しかし、そのような本を数年前に読んだことがあり、
その本で得た知識が脳の奥に眠っていてそれが出てきただけとも考えられます。
しかし、脳の中の現象であれ、神秘体験であれ人生観が変わり、
生き方が変わったのは事実です。
考察
前回の記事同様、スピリチュアルな次元につながったことで
この世の見方では理解できなようなことが理解できました。
3次元のこの世で起こる出来事、それまでの人生で体験した出来事の背後には
完璧に動いている宇宙の秩序、法則のようなものが存在するのだということがわかりました。
その時に感じたのは「わかるようでわからん。わからんようでわかる」
この言葉がまさにぴったりで、
この世次元の理解と、スピリチュアルな次元の理解が同時に起こったということのようです。
「わかる」というのはスピリチュアルな次元、「わからん」というのはこの世次元の感覚なのです。
また「わかる」というスピリチュアルな次元での理解を、この世次元の脳がとらえて『「わかる」と感じたのになぜか「わからん」』となったようです。
スピリチュアルな次元に意識の重心が行ったり来たりしていてのでしょう。
「すごいことがわかった」とスピリチュアルな次元を垣間見て感動しているのですが、
それをいざ家族に話そうとすると、どうしてもこの世次元の普段の自分に戻るので
「あれ?おかしいな。さっきあんなに感動したのに忘れたみたい。
いや、忘れたんじゃない。体験したことをそのまま言ってるのに実感だけがない。なんで?」
という奇妙な感覚になりました。
スピリチュアルな体験をそのまま誰かに伝えようとすると
多くの場合伝える側が「この世次元」に意識の重心が自動的に行ってしまい、
実感がないまま話すことになるので、伝えたくても伝えられないという状況になるのですね。
スピリチュアルな次元に意識の重心を保ったまま伝える場合、
伝わる人には伝わるのだと思います。
伝わる人というのはスピリチュアルな次元に少しでも開けている人です。
しかし受け取る側が「この世次元の意識状態」に凝り固まっていたら
やっぱり伝わらないし、場合によっては変人扱いされてしまうということになります。