2007年の神秘体験以降、瞑想などで得た気づきを書いています。
私の世界、つまり私の信じている世界のことなので、
ほかの人には当てはまらないかもしれません。
この世は「個」の世とも言えます。
私たちが生活している世界を「この世」、死後の世界を「あの世」と呼びますね。
しかし本当は「あの世」と呼ばれている世界が真実の世界なのです。
あの世が本当の世界、元の世界で、
この世はあの世の「現世(うつしよ)」とも言います。
いくつかの次元に分かれているわけですが、
次元が進むと魂の個別性が薄れて、
他人との壁が薄くなり、
ついには「全体」としての自分、
もともと一つのもの、神、仏、サムシンググレイトなどと呼ばれていますが、
一つのものが存在している、
時間も空間もなくただ「ある」「一(いつ)」という状態になります。
次元の話をするとややこしくなるので、
ここではざっくりとこの世とあの世という説明で進めます。
あの世は「全体」この世は個別性がある「個の世」。
この世はあの世のごく一部。
別々に存在しているのではなく、
同時に折り重なるように存在していて、
私たちが認識できるのは三次元である「この世」。
あの世が真実の世界で
それは時間もなく空間もない
一瞬であり永遠の世界です。
あの世、あるいは神様仏様が見ている夢が
「この世」であり、
私たちがこの世の夢、幻想から目が覚めることが
悟りと呼ばれる状態です。
神様、仏様は完璧で、あの世もこの世も完璧に動いています。
ただ、人間の目からはその完璧さはわかりません。
人間は一見「不完全」ですが、
それもこの世からみた見方であり、
三次元の世界でいくら
ダメダメで欠点だらけであっても
あの世の視点ではそれで完璧なのです。
三次元の目からは普通見えない「あの世」ですが、
そこにはこの世の元になる様々な原因となる種子が
たくわえられています。
私たちの体も、肉体は物理的次元である三次元に属していますが、
「魂」と呼ばれる肉体とは別の体も持ち合わせており、
それらは「あの世」の次元に属しています。
その魂には様々な「種子」がたくわえられていて、
いろいろな縁が重なって機が熟したときに
その種子が現象化するようになっています。
人間の目からはこの現象化のプロセスは把握できませんが、
そのプロセスも完璧に動いているのです。
また、この世はあの世ではもともと一つだった魂が
個別に分かれて、いろいろな生き物として生きています。
植物、動物、人間。
人間もまた、個別に分かれており、
一人ひとりが別の人間として生きています。
地球上の生物の中でも、人間は特別です。
それは「言葉」を使うという点です。
動物や植物の世界では言葉はありません。
言葉は人間の世界だけのものであり、
もともと「一つ」だったあらゆるものを
名前を付ける、つまり言葉で表すことによって
これとこれは別なんだという
区別ができ、個という概念ができました。
個であるということは、
自と他を区別しているということ。
そんな中で、自分と異なる人に愛情が芽生えたり、
逆に憎しみが芽生えたり、
思い通りにならないとイライラしたりということが起こってきます。
これは自分という「個」があるからこその感情で、
この世で「個」という人間として生きていくからこそのものです。
動物も感情があるでしょうが、
人間のようにそれに執着し続けることはありませんし、
言葉は使わずとも、自然を感じ、自然のリズムとともに生きています。
ただ、シンプルに、生きるために生きています。
人間は言葉を使うことで
個として生きているのですが、
個として生きることで
「自分」というものに囚われてしまい
それがこの世で生きる際の執着の元となるのですね。
自分という人間はもともとは大いなる「一つ」だった・・・
元をたどればみんが創造主、仏様にたどり着く
ということを忘れて、どっぷりと「個」としての夢に生きているのが
「この世」なのです。
以上、ざっくりとですがこの世とあの世のことを説明いたしました。
「あの世」と今回はひとくくりにしましたが、実際は何層にも分かれている階層世界です。
読んでくださりありがとうございました。