残された人、去っていく人、両方の想い
2020年1月6日にNHKで放送。ふたりの”最期の七日間”
見逃した方はNHKのHPから110円で観ることができます。
宮本英司さんは50年以上連れ添った妻容子さんをがんで亡くします。
闘病中に奥さんが書いた詩「七日間」。そこにつづられていたのは、余命が少なくなったことを悟った奥さんが、ありふれた日常への想いでした。
「七日間」
神様お願い この病室から抜け出して
七日間の元気な時間をください一日目には台所に立って
料理をいっぱい作りたい
あなたが好きな餃子や肉味噌
カレーもシチューも冷凍しておくわ二日目には趣味の手作り
作りかけの手織りのマフラー
ミシンも踏んでバッグやポーチ
心残りがないほどいっぱい作る三日目にはお片付け
私の好きな古布や紅絹
どれも思いが詰まったものだけど
どなたか貰ってくださいね四日目には愛犬連れて
あなたとドライブに行こう
少し寒いけど箱根がいいかな
思い出の公園手つなぎ歩く
五日目には子供や孫の
一年分の誕生会
ケーキもちゃんと11個買って
プレゼントも用意しておくわ六日目には友達集まって
憧れの女子会しましょ
お酒も少し飲みましょか
そしてカラオケで十八番を歌うの七日目にはあなたと二人きり
静かに部屋で過ごしましょ
大塚博堂のCDかけて
ふたりの長いお話しましょう神様お願い 七日間が終わったら
私はあなたに手を執られながら
静かに静かに時の来るのを待つわ
静かに静かに時の来るのを待つわ
夫である英司さんは、容子さんの存在が忘れられるのが寂しい、形あるものとして残したいとの思いから、投書を送ったのでした。
英司さんの言葉です。
いちばん最後に私とふたりきりでゆっくり過ごしたいということは
本当に自分が最期だということを意識しているわけで
最期のことを考えながら
そういったことを話すとうことを
聞くのが苦しかったですね。
だんだんみんなの記憶から薄れていって忘れられちゃうのが寂しくて
何かの機会で残すことがあればという気持ちですね。
活字として残れば 記憶が形として残ると思いましてね。
私の中の容子の思い出をつなぎ止める意味もあったかもしれませんね。
しかし複雑な思いも生まれていました。
容子の名前が広まって皆さんの記憶に残ったということは、最初の当初の目的を達成したということですからそれについては満足ですね。
ただ、やっぱりいきてさえいればという思いがよけい強くなったですね。
容子に代わる生きがいはなんだろうとか
何もつかめてない状態ですから。
ですから何もそれについてはないです。持ってないです。
どうやってそれに向き合っていくかというのは難しいですね。
容子さんは日記をしたためていたようですが、亡くなった後英司さんが初めてその存在に気が付きます。
日記を読んだことで心が揺れることにもなったようですが、容子さんの英司さんに対する深い愛、「強く生きて」という言葉を胸に、これからも生きていく英司さんの姿がありました。
詳しい内容を知りたい方は番組をご覧くださいね。
愛する人に先立たれ、残された者がどうやって生きていくか・・・。
愛する人のいない世界にどう適応していくのか・・・・とても難しいです。
やさしさ溢れる詩ですね。
元気に過ごしていると「日常」という幸せがあることをついつい忘れそうになってしまいます。
私も生死をさまよい入院した体験があります。感染症だったので後遺症もなく無事回復。それでも、助かったのはぎりぎりだったと聞かされ、「死」を意識せざるとえませんでした。
1か月近く入院しましたが、退院が近づいてきた日、若い先生とのやり取りではっとしたことがありました。
「退院したら何がしたいですか?」
「普通のことがしたいです。ご飯作って、掃除して、公園行って遊んで、寝る前に子どもたちに絵本読みたいです。」
こう答えた自分にはっとし、気が付いたのです。それまではこんなありふれた日常の些細なことをあえて「やりたい」と意識することもなかったのですね。あまりに当たり前だったので。
死を意識したとき、それがいかに貴重で尊く、当たり前ではないのだということが身に染みてわかりました。
読んでくださりありがとうございました。