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これらの記事を加筆修正しました。

①人生に不幸はない。スピリチュアル・覚醒体験からのインスピレーション

③それまでの人生の意味がわかった。スピリチュアル・覚醒体験からのインスピレーション

 

これらの記事を読み返していて思ったこと。

最近、カルマ・ヨガについて書きました。

カルマ・ヨガとは日常で行う修行なのですが、置かれている状況で、ただただ目の前のことを愛の心で誠実にこなしていくことなのですね。

家庭の主婦であったら、家事を。

子育て中の親なら子育てを。

親の介護をしているのであれば介護を。

ビジネスパーソンであれば仕事を。

目の前の人、物、事に向き合い、相手が最も善くなるようにという心でただただ働きそのものになり、結果にはとらわれない。

私がもし神様だとしたら、相手に対してどのように振る舞うか。

あるいは相手が神様だとしたら、私はどのように振る舞うか。

働きそのものになるというのは、他のことに気を取られずに夢中になってやる、没頭するということです。

もちろん、相手が喜ぶようにと愛をこめて関わるのですが、「喜んで欲しいな」という相手への期待、自分の欲を満たすためにやるのではありません

そのような気持ちを抱くかもしれませんが、それは脇に置いておいて、自分の我を挟まずにただただ行為そのものになるということ。

 

目の前のことに没頭するというのは「今ここに生きる」ということでもあり、

それは自分という個から自由になる瞬間でもあり、

普遍意識・神意識が個を通して働いているということでもあります。

 

自分に縛られている状態でカルマ・ヨガを行うのは本当に難しいかと思います。

目の前に相手がいながら、考えていることは自分のことだったりしませんか?

自分に合った仕事や活動の場合、目の前の人や物事に没頭するのは比較的簡単です。

私も、このブログを書くことやカウンセリングの仕事では自分の事情は忘れて打ち込むことができます。

しかしそれ以外はどうかというと・・・・。

例えば他の仕事をしている時は「早く帰りたい」と思うことが多かったです。

目の前に人がいて、形の上では一生懸命仕事をしているように見えても、心の中では「あと30分」とか思ってしまうのですよね。

これってつまり「相手と一緒にいない」のと同じです。

心ここにあらずです。

その場で身体は一緒にいても心が伴っていないのですね。

仕事の内容によっては、ある瞬間は心も一緒にいるのに、ある瞬間は離れてまた自分のことを考えていたりします。

英語講師の時は割と心も共に居たことが多かったですが、現場によっては「早く帰りたい」と思うこともありました。

スピリチュアルケアの分野と比較的重なる介護の仕事の場合は、心もそこに居れることも多かったです。

もっと昔、学生時代のアルバイトはほとんどどれも「早く帰りたい」と思っていました。

心ここにあらず。

これって自分の中に癒されていない部分が多いと、どうしてもそうなってしまいます。

 

そもそも私の場合、学生時代のアルバイトなんかは「お金を稼いであれ買ってこれ買って、自分の欲を満たしたい」という欠乏動機から来てるから。

本当はやりたくないのにバイトをしてるんですね、お金を得るために。

なぜお金が欲しいというと、好きなファッションに身を包んで可愛くなりたいから。

可愛くなるというのはどんな意味があるのかというと、女性としての自分の存在意義であり、自信を持ちたい、人に愛されたい、という動機なのですよね。

つまり、その根っこの部分を満たしていない状態で、仕事をしても

「そんなこと(仕事内容)には興味ねえんだ!!服が欲しいんだ私は!」

「来週給料日♡雑誌に載ってあったあのワンピースを買いに行こう♡」

と上の空になってしまいます。

いくら頭で目の前の仕事に打ち込まなくては、と考えても心の中はいつの間にか自分のことでいっぱいになるのです。

 

別の例を挙げます。

例えば子育て中で色々とお金がかかる状況。支払いに対して不安に感じていると仕事をしていても

「給料日まであと××日。今月はしのげるとしても。来月は〇〇費の支払いがあるわ。もっと仕事を入れてもらおうかしら。」

などと、自分の不満を解消することや、欲を満たすこと、心配事を解消することに心が持っていかれてしまいますよね。

悩み事が多いほど、自分のことばかり考えてしまい、心ここにあらずの状態になってしまいます。

 

また、人からどう思われるか気になるという場合もありますね。

一生懸命相手に尽くし相手が喜んでくれたのは良いのだけれど、それは自分が貢献したおかげだなどと、相手のことより自分に比重を置いていたり。

 

結局、カルマ・ヨガをこなすには、自分の心の癒しを先にやっておくことが大切なのだと思います。

私の経験ですが、

癒しが完璧でなくても、ある程度癒されれば自分のことにとらわれず、相手に向き合える瞬間が増えてきます。

自分の中に癒されない部分があるのに、無理に一生懸命仕事をしようとしても、心ここにあらずの状態がずっと続くのでそれはカルマ・ヨガではありませんね。

でもそのうち軌道修正が自然にできて徐々にカルマ・ヨガに近づいていく場合もあるでしょうし、人生の危機的状況に出くわして強制的に癒しが進むこともあるでしょう。

 

 

目の前の人、物、事に向き合うというのは、自分のことも含みますよね。

自分をまず大切にし、心が満たされることで、自分のことにとらわれる時間が減ってきます。

満たされるとこだわらなくなるからです。

 

カルマ・ヨガとは、自分は一人の人間であるという思い込みをも解放し、最も自然な状態を思い出すこと、つまりは普遍意識・神意識に戻った状態でただ行為をするということが、真の状態なのでしょうね。

最も自然な状態というのは、個としてのこだわりから解放された状態であり、それは同時に最も個性的で個性が生きる瞬間であり、普遍意識として行為そのものになり切った状態なのでしょう。

今日もお読みくださりありがとうございました。

 

 

 

 

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