わかってほしい、助けてほしい、関心を向けてほしいから「辛い」という感情を利用しているのかもしれない。
「利用」という表現はちょっと違うのですが、別の言葉が見つからないのでそのままにしておきます。
自分の心を深く深く探っていくと、他者の言動から受け取るメッセージは、実は自分が自分に言っているとわかる。
遠い過去、学生時代にどうにもこうにもうまくいかない恋愛がありました。
客観的に見ると誰もが、彼の方が私に対して酷いことをしていると言います。
私は彼のことが好きでしたが、彼は私のことは恋人扱いすらしてくれませんでした、体の関係はあるのにです。
それでも、嫌いになることができず、数か月間ずるずると付き合いました。
どうして外でデートしてくれないのか?
私のことを好きなのか?
好きじゃなかったらもう来ないでほしい。
私も他の子みたいに、彼氏と手を繋いでデートしたいし、友達にも紹介してほしい。
映画とか遊園地とか行きたい。
一緒に買い物したい。
女性が普通に抱く感情だと思いますが、願いは叶わず。
私から会いたいと言ったことはなく、毎回彼の方から連絡がありました。
会っている時間、自分の気持ちを訴えてよく泣きましたし、一人になると余計に涙が止まらず。
四六時中
「彼は私のことを好きなんだろうか。
きっと好きじゃないな。
好きになってほしいけどどうせ無理なんやろうな。
でも希望はあると思いたいな」
こんなことばかり考えているので学業には全く集中できず・・・。
でもどうして彼のことを嫌いにならなかったのでしょうか?
年月が経って、多分こうだろうな、という理由が出てきました。
それは
彼の前ではありのままの自分でいられたから
ありのままの自分、というと愛に溢れて自由で天真爛漫でいつでも心が平安で・・・・・というのも本来の自己が実現されたありのままの自分ですがそうではなく。
ダメダメな自分としてのありのまま。
辛くて辛くて、どうしようもない自分。
子どもみたいに泣いてしまう自分。
甘えたい欲求を出せる自分。
残念ながら彼は受け取ってくれませんでしたが、気持ちは表現できました。
普段、家や学校ではちゃんと社会的な顔をして、常識的に生きていて、弱音を吐いたりすることも少なかったのですね。
いわば仮面をつけて過ごしていた。
それが、彼の前では素直に泣けた。
まあその私が泣くそもそも原因が彼にあるのですが・・・。
表層的な部分では当然、彼に原因がある。
でも、もっと深い部分では、私に原因があるのです。
そもそも、心の深い部分で自分のことを大切に思い、愛していたら、彼とは付き合うことはないから。
私の悲しみや苦しみは、彼が原因という見方もできるけど、それよりももっと前、育ってきた過程で既に心の中にあったものが、彼との関わりをきっかけにして表面化したものではないか。
抑圧してきたものが出てきた。
女性として大切に接してほしい
この願いの根底にあったのは
私が女性として大切にされるのは無理、不可能、願ってはいけないこと。
私が欲しいものは手に入らない。
という強い自己否定と呪い。
表層の意識では、こんなこと思っていないし、気づいてもいない。
普通に、彼氏がほしい、いっぱい遊びに行きたい、大切にされたい、と思っている。
でも、心の奥の奥の奥では、深く傷つけられて不幸になるのが当然と思っている。
だから、絶対に私のことを好きにならない相手を選んでいるのです、無意識に、自分でも気づかず。
幸せにならない選択をしている。
なぜそのように自分に対して呪いをかけるようになってしまったのか。
一つ、思いつく理由が
親に対する抗議。
幼少期からあれこれ制限され、私の願いは否定され続けてきたことへの訴え。
「ほら、あんたらのせいで私不幸になったやん」
こう言いたかったのかもしれない。
でもこれは本質ではない気がする。
確かに部分的には合っているが、本質は違う。
親に対する怒りもあるにはあったが、愛情も感じていたし、不自由であっても大事に育てられたから。
本当に言いたいことはもっと深堀りする必要があるように思う。
他にも、
他の女性は幸せ(欲しいもの)を手に入れられるのに私は無理
という観念があった。
これも自分が幸せを受け取ることを許していない思い込み。
「あんな女性やこんな女性は幸せになっていいけど、基準に達しない私はダメ」
と深層では思っていたのかもしれません。
幸せになることに自分で条件を課していたというか・・・・。
今になって、潜在意識のことが理解できるようになってわかったのですが
「これはこうなんだ」と思い続けたら、つまり潜在意識にその観念が「当然のもの」と植え付けられたら、それは現象化するんですよね。
ですので、ちょっと悪いことが起きて、それを頭の中で何度も何度も反芻し、ネガティブなスパイラルに陥ると、現実もそうなっていく。
潜在意識の中で「悪いことが起きる」という現実を創り出しているので、それは外の世界にもやがて現象化する。
最初は「ちょっとイヤなこと」に過ぎなかったのが、だんだんだんだん悪くなっていって、最終的には地獄のようになってしまう。
今なら気づいた時点で内省して潜在意識に問いかけてある程度は修正できるのですが、
当時はそんなこと知りません。
自分と他人は別の存在だと思っていますし。
過去も未来も存在すると思っていたので。
ネガティブスパイラルに陥るということは、「過去にああだったら、きっと未来もこうなる」と無意識に思い込んでしまって、それが現象化するということ。
なかなか理解されがたいことですが、過去は存在しない。
過去があるは思い込み。
現象化させているのは、「過去にああだったから」という自分の思い込み。
私自身、その原則を理解はできていても、実際にそれを自分のものとして生きているとは言えず。
でも気づいたら修正はできるのです。
「過去にあんな人だったから、今もあんな人」は自分の思い込みなので、それを変えたら他人も変わります。
表面的にそう思い込もうとするのは変えたことにはならず、深層で、潜在意識で変わったら他人も変わります。
話を元に戻しまして、当時は本当に心がぼろぼろになるくらい、状態が悪化しておりました。
私は一体何を求めていたのか?
彼のことを嫌いになれなかったのはなぜか?
それはありのままの自分、泣いたり甘えたりしたい自分を表現できていたから。
でもそれって当時初めて感じた気持ちじゃないよね。
もっともっと前から抱いていたけど、奥に追いやってきた気持ちよね。
元々は本当にシンプルな欲求に過ぎなかったはず。
それがなかなか得られないからネガティブスパイラルに陥って地獄になったけど本当にシンプルな願いだった。
シンプルだけど、私にとってはとても大切な願いだったのです。
多分根っこになるのは幼少期。
親と離れるのが辛くて辛くて、泣きながら保育園に通うのですが、でも誰も慰めてくれないのです。
家でも同じで、何か辛いことがあって泣いたとしても、「それはああでこうで」と諭される。
親の言い分を聞かないといけなかった。
また長女だったため、下の兄弟が生まれるとあまり泣けなくなってしまい・・・。
甘えたくても甘えられなかったのかな、記憶にはないけどそんな感じかと。
シンプルだけど、私にとってはとても大切な願い
それは
わかってほしい、助けてほしい、関心を向けてほしい
泣いていたら背中を撫でてよしよししてほしいという願い。
最後に、当時も自分の心を掘り下げ掘り下げ掘り下げ・・・・・。
出た結論は
「誰かに好きになってもらうことよりも、自分がその人のことを好きかどうかが大事。
どう思われるかよりも、自分が「好き」ならそれでいい」
でした。
この結論が出た頃は別の新しい人がいたのかな?記憶が定かでないですが。
まあその新しい人とも苦労するのですけどねえ。
地獄を創る天才だったので。
最後までお読みくださりありがとうございました。