グループホームで認知症の人の介護のパートをしています。
そこでは小学生の男の子ように、ありのままの感情むき出しのおじいちゃんたちがいます。
利用者さん同士言い合いをしたり、認知症ということもあり取り繕うということが少なく、ふざけたりもしますし、感情そのままを表現されます。
逆に言葉数が少なくおとなしい人もいます。
中には症状が重くてまともな会話ができない人も何人かいますが、
誰かが自分のことに興味関心を持ってくれると嬉しいのか、昔の話を色々聴かせてくれる人が多いです。
そんな中思いました。
この人たちが一時的にでも家族さんの元や外の社会に戻ると、居場所はあるのだろうか、と。
グループホームは「家」のようなものなので、そこの一員としてみんな普通に接していますが、社会ではやはり疎外されたり、存在をなかなか受け入れてもらえなくて、孤独を感じるのではないかと、認知症の人たちを接する中思いました。
今までグリーフケアに携わってきましたが、グリーフを抱える人もまた共通している気がします。
社会でその悲しみがなかなか認められない、悲しんでいることを打ち明けにくい・・・。
だからその悲しみを共有できる分かち合いやコミュニティが必要。
認知症や高齢者も、いわば自分が自分でなくなっていく喪失や、老いという喪失を抱えているわけで、存在をまるごと受け入れてほしいという人間の根源的な欲求は共通しているように思います。
今日は短いですが以上です。
読んでくださりありがとうございました。