気分がすぐれず、いつまでも同じことを考えて無駄に時間が過ぎていくことってありますよね。
目の前のことに集中できず、自分の気がかりなことばかり考えてしまう・・・。
理想と現実が異なり、現実を否定していると不満や不安、過去の悔いなどに心が持っていかれます。
考えるのをやめたくても、自動的ずっとそのことが頭から離れない。
不快な感情に乗っ取られる。
例えば「〇〇するのイヤだな」と億劫な気持ちになり、気持ちを逸らしたくてもできない時ってあります。
どうしてそれを「イヤ」だと感じるのか。
たいていの場合は自己不一致ですよね。
本当は△△したいのに、〇〇しなくてはならない。
あなたにとって〇〇とはどんな意味を持っているのでしょうか?
〇〇することによって何が制限されているのでしょうか?
自由な時間が減る
自分らしさを出せない
体力を消耗する
気を使うのが疲れる
おしゃれができない
家族との時間を過ごせない
好きでもない人、興味のわかない人の相手をする意味がわからない
本当は嫌いなのにそれを言えない状況
そのことのためにお金と時間を使うのが無駄
などなど。
不快な気持ちは個人の状況によって異なります。
〇〇することによって、何らかのメリットがあるからイヤでも〇〇するのでしょうが、同時に自分を縛る制限も現れるので、不快に思ってしまうのですよね。
そして、不快な気持ちの奥には、本当の欲求が隠れていますね。
本当は自由に自分らしくありたい、という気持ち。
ほとんどの人が抱く願望かと思いますが、このように言葉にしてみても、文字にしてみても、実感がわかないことってあります。
自由に自分らしくありたい、と思っていることは事実で、ウソはないのですが、それを感じている心の次元が浅いか深いか。
自由に自分らしくありたいというのは、人類共通の根源的な願いのはずですが、
本当に実感として感じ切れているか。
すでに自分らしくある人は、そう感じたいなんて思わないはずで、すでにそれを生きています。
「~たい」と願望として出てくるのは、それが叶っていないからですよね。
でも、その欲求を本当は心の奥で感じているにも関わらず、感じ切れない、掴み切れないという場合は、頭のノイズが多すぎて感じることを邪魔しています。
また心の抵抗があって深く感じられない場合もあります。
ただなんとなく、ぼんやりと思う感じ。
そして不快なモヤモヤを抱えていてすっきりしない。
真の欲求を、「本当に本当に私はこうなりたいんだ」と深いところから掴むことができる、というのはより明確に本音を掴めるようになったということ。
本音というのは、案外シンプルなものがほとんどですが、シンプルなのに根が深くてつかめずにモヤモヤするのですね。
だから言葉で表現することはできるのかもしれませんが、真の意味でそれを掴んでいるかというと、そうでないことが多い。
言葉と感じていることが一致する、つまり実感として掴めるようになると変わります。
カウンセリングはそのお手伝いです。
今日もお読みくださりありがとうございました。