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生死の危機を体験したら困難に耐える力はつくのか?私の場合

このブログには私自身の喪失体験や宗教的体験スピリチュアルケアのトレーニングで得た気づきや洞察などを書いております。

しかし書いてあるのは私の中のごく一部であり、書きたいことの一万分の一くらいです。

実際の人間関係のことなどは相手に迷惑がかかるの書けないですし。

それでも生死の危機を体験して人生観が変わったことなど、読んでくださる方の中には、心揺れる内容もあるかと思います。

さて、今回は

「生死の危機を体験したら困難に耐える力はつくのか?私の場合」

というタイトルです。

生死の危機をさまよったという体験でなくても、

大切な家族との死別を体験した、

暴力や虐待の被害にあった、

災害に見舞われた

などの困難な状況を生き抜いてきた中、人生観やものの見方ががらりと変わったという場合にも言えることですが、

そのような大きな体験をするとその後の人生における困難に耐える力はつくのでしょうか?

危機的状況、スピリチュアルクライシス→価値観の変容が起こる

危機的状況やスピリチュアルクライシス。

それまでの人生経験で対処してきた価値観や方法が全く使い物にならないという状況のこと。

そんなぎりぎりの状況で人は極限状態に追い込まれ、「価値観・人生観の変容」といったことが起こります。

PTG、心的外傷後成長とも言われます。

※全員に起こるのではなく、変化のない場合や、苦しみに心がとらわれて執着として保持してしまう場合もあります。

 

価値観の変容というのは、それまでに抱いていた当たり前だった

「思い込み」「ビリーフ」が使い物にならなくなり、

それに代わる新たなものが構築され、その新たなビリーフによって生きる力を取り戻していく、危機的状況に対処していくということ。

多くの場合、それまで自分を縛っていた思い込みから解放されるので、

困難な状況を体験しつつも心はより自由な境地に近づいていくといえるでしょう。

そうするとそれまで自分の心をごまかしていたり、

お茶を濁すようにして見ないふりをしてきた「感性」が表に現れるようになってきます。

それまでだったら違和感を感じていたとしても、

「こういう考え方もあるからこうしよう」

と頭の考えの方を優先してきたのが、感性優位、気持ち優位になってきます。

ほんとはどう感じるか。

ちゃんと「いや」と感じている心の声をキャッチできるようになってきます。

するとどうなるか。

自分に正直になっていきます。

「あの人は死ぬような苦労を体験したから我慢強いに違いない」

というイメージを抱く人がいるかもしれませんが、それは多くの場合「幻想」です。

むしろ「我慢をする」ということ自体が、自分の感性を無視した行為であり、おかしなことだとわかってきます

「我慢」というのは本来の自分と合わないことに、

感性の声を置き去りにして、頭の考えを優先した結果抱く感情だということ。

これが好きなことや絶対に叶えたい夢や目標のためであれば

「努力」「忍耐」

という方がしっくりくるかもしれません。

自分にとって何が大切かということがより明確になるので、そのための忍耐力は培われます

ぶれることが少なくなります

こういうのは我慢ではなく、忍耐です。

自分でないものになろうとするのが「我慢」。

これは私がこれらの言葉から感じている解釈なので、人によって異なるもしれませんし、今後この解釈も変わるかもしれませんが。

死ぬような目に合った私からすると、

信念を貫く忍耐力が培われ、

自分を偽る我慢ができなくなってきました。

いやなものはいやです。

そして好きなものは好き。

いったん好きになるとずっと好きな気持ちが続きます。

より自分の本質を感じられるようになってくるということでしょうか。

もともとの自分を生かすもの、そうでないものに対するセンサーが

「感情」「感性」だといえるでしょう。

何が自分を生かして何が自分を生かさないか、「感性」はそれを知っているから、好きや嫌いといった感情があるのです。

自分を生かす正しい方に導いてくれるナビです。

「思い込み」にがんじがらめになっているときは、感性の声が聞こえにくいですが、

クリアになってくると自分の感性の声に敏感になってきます。

まだ私は中途の段階なので、時には感性が優位になりすぎて感性が主、自分が従のようになってしまうこともあり、

嫌いな物事に対して

「いややー、いややー、いややー!」

と我慢ができない状態になることもあります。

以前であれば何とも思わなかったようなこと、しんどいとも思わなかったようなことが、ものすごくしんどく感じます。

以前はそこまで感じ取れるほど感性が研ぎ澄まされておらず、

自分の心をだましだましお茶を濁しながらなんとなくやり過ごしてきたというだけです。

「今」を生きていなかった。

スピリチュアルケアをやる人に限らず、セラピストやヒーラーになる訓練などでも、

心の中のいらないものを捨てていく過程で

「感情が剥き出しになる状態」を通るそうです。

嬉しいことはより嬉しく、苦しいことはより苦しく感じるということ。

というわけで、「生死の危機を体験したら困難に耐える力はつくのか?私の場合」

に対する答えはNOです。

むしろそれまで我慢してきたことができなくなり、自分にごまかしがきかなくなってきています。

ただ、どうしてもこれをやりたい!ということに関しては踏ん張れる忍耐は生死の危機を体験したことによって培われているように思います。

修行が進んだら好き嫌いにとらわれなくなるのかもしれません。

感情をありありと感じつつ、それを放っておける、巻き込まれない状態に。

好き、嫌いにとらわれず淡々とこなせるようになるのかもしれませんね。

以上、読んでくださりありがとうございました。

 

 

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