人の話を聴けない人の方がむしろ多数派。私の体験から。

これは個人的な体験ですが、新たな気づきがありましたので書いておきます。

夫は7人きょうだいの3番目になります。

義母の調子が不安定になってきたので、ここ数か月はきょうだいで代わる代わる定期的に義母を訪れています。

もう何年も前からですが、義母は同じ昔話をするのですね。

その話が、どうやら愚痴に聞こえるらしいのです、夫にとっては。

きょうだいの中でも同じように、その話が愚痴に聞こえ、不平不満をいつまでも言っているのだと受け取っている人もいます。

ですので、話が始まると最後まで聞かずに途中で終わらせたり、いつまでその話をしているんだ、苦労したのはお母さんだけじゃない、ということを言って別の話題に変えてしまったりすることが多々あります。

先日も夫と一緒に義母を訪問した際に、夫が義母の話を途中で止め、帰りの車の中で「聴いてられへん」と。

私には愚痴のようには聞こえず、むしろ昔の大事な話をしてくれたことに喜びを感じていました。

同じ話を何度も聴いていますが、愚痴だと思ったことはありません。

愚痴のように聞こえるのであれば、それは聴く側にとってしんどいだろうなあとも思いました。

なぜ愚痴に聞こえるのでしょうか?

それは身内であり、その話の状況を知っているからこそ、ありのままに気持ちを聴くという態度ではなく、その話の内容そのものに引っ張られてしまうということだと思います。

聴く訓練を受けているわけではないので、上記のような反応になってしまうのですね。

これは身内の話を聴く時だけでなく、他の方の話を聴く際も、内容そのものに引っ張られると同じことが起こりえます。

内容そのものに引っ張られるというのは、ビリーフと呼ばれる自身の抱えている思い込みや価値観、偏見、考え方、自分の心の傷などに影響されて、相手の話をありのままに聴けないということにつながります。

愚痴とそうでない話の違いは?

愚痴というのは、聴き手を単なる感情のはけ口のように扱う行為のように思います。それでも愚痴であってもストレスが溜まっている場合は言った方がいいとは思いますが。

義母もたまには愚痴のようなことも言いますので(ペットのことなど)、愚痴とそうでない話の区別は私はできます。

その場を一緒に過ごしたいという思いから、昔話をするのは、内容が苦労話であっても愚痴ではなく、それは本当に大切な話であり、また繰り返して話すことで、自分の中で整理が進んでいるのでしょう。

実際に遺族会でも、同じ話を何度もする方がおられますが、それは必要なことなのだと私たちはわかっているので、腹も立ちませんし、同じ話であってもちょっとずつちょっとずつ何かが変わってくることも体験しています。

このように、話を聴くのに慣れていない場合や、関係性が濃い場合など、相手の話をありのままに聴くのが難しいこともあるのですね。

また、私自身はグリーフケア、スピリチュアルケアの活動に携わってきたので、言葉の奥にある本当の気持ちを感じるということが普通になっています。

しかし、そうでない人の場合、やはり言葉を聞くとその字面通りに受け止める人が圧倒的に多いのだな、と改めて学びました。

ですので、発した言葉、発したメッセージ、受け取って気持ちとは全く異なる解釈をされてしまうことが多いということ。

実際、この義母の話も、義母はおそらく昔話をすることで私たちと交流がしたい、語る時間を楽しみたい、聴いてほしいという思いがあったのだと思います。本人にはっきりした自覚はないでしょうが。

しかし夫が受け取ったのは全く違ったメッセージであり、その思い込みによって「これ以上話を聴きたくない」と途中で終わらせてしまったということです。

ということは、夫のような人の話を聴けない、聴くのがしんどいというそういった人たちに何かを伝える際にも、言葉の奥の本当の気持ちはきっと伝わっているだろう、と自分で勝手に思い込まずに、より丁寧な表現を心がけることが大切ということです。

そしてわかってもらおうと何度言葉を尽くしてもどうしても伝わらない場合は、それはもう相手の問題なのだと、必要以上に責任を背負いこまないことも大切なのではと思います。

読んでくださりありがとうございました。

 

 

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