スピリチュアリティの探究をしていたらセクシャリティの問題に行きつくなあと思いました。
人にもよるんでしょうけど、そこが満たされていないからモヤモヤが残ってるのかなあと、私の場合。
セクシャリティ、もちろん性欲とか性的な快楽も含めての話ですが、本質はそこではなく。
男性性と女性性ってありますよね。
どんな人の中にも男性性、女性性がある。
私の場合、「女性である」ということにとてもこだわっているので
女性性をめいっぱい満たしたい
妻や母といった役割ではなく、女としての幸せを感じたい
何者でもないただの女として好きな人に受け入れられたい
という欲求があることに気づきました。
これらはずっと前から、何十年も抱えてきたものです。
おそらく、十代の頃からあったでしょう。
いや、幼少期にすでにその芽はあったように思います。
今みたいに言語化はできなかったのですが、
「綺麗になりたい」だったり
「おしゃれをしたい」だったり
「肌がツルツルだったらいいのに」だったり
「バストとお尻はある程度大きくて柔らかいのが理想」だったり
「ジュエリーが欲しい」だったり
「年齢よりも若く見られたい」など
ほとんどが見た目に関する願いですが、美容やファッションにこだわる理由は
「まだ叶っていないから」
「叶った時の喜びを感じたいから」
「好きな人に可愛いと思われたい、言われたい」
なのです。
若い時にこれらが叶っていて、心の底から満たされた体験があったならば、もしかしたら満足してこだわらなくなっていたかもしれません。
周りの女性の多くは私ほど外見磨きに興味がないようで、それよりもおいしいものを食べに行きたいという人が多いでしょうか。
若いころに女性性が満たされ、すでに満足しているのでしょう。
(もしくは満たされていない、その発想すらないのかもしれませんが。)
そのような女性として満たされた体験がほとんどないため、私の場合は毎日ストレッチや顔のマッサージ、肌のお手入れなどを継続しているというわけです。
多くの女性(あるいは男性も)同じなのかもしれません。
美容や体型維持、アンチエイジングにこだわる理由は、本当だったら若い頃に満たされたかった思いを諦めきれないのかも。
諦める必要はないと思います。
結婚して以来、ずっとモヤモヤしてきたことがあります。
例えば休みの日、若い頃ですが夫の実家に行く、墓参りに行く、など妻としての役割。
今は義母のいる施設に面会に行ったり。
妻なんだから当たり前のことで、文句を言ったことはありません。
夫なしで、一人で義母のところにも行きますし、施設に入る前、義母が一人暮らしの時も、時々ですがおかずを作って持って行ったりもしていました。
毎年3回ある法事も、買い物から料理までちゃんとやってきました。
義母の介護当番も頑張りました。
イヤというのではないのです。
それくらいのことはできますし、介護が必要なのであれば、困っている義母の手助けをするのは当たり前のこと。
義母と話が出来て楽しかったこともたくさんあります。
でも、女としての喜びをまだ味わっていないのに、ほとんど味わってこず、満たされていない状態で
妻としての役割を求められることに不満を感じるのです。
妻の役割をして、喜んでもらえるのはもちろん嬉しいですが、真の喜びではありません。
感謝されたら嬉しいですし、義母が心を開いて話してくれるのも嬉しいです。
(今書いていて気づきましたが、義母と接していて癒される瞬間というのは、「役割」を超えた交流ができた瞬間です。
セクシャリティとは別に、人間と人間としての関わりであり、役割にとらわれていない時ってやっぱり満たされるのですよね。
いつもそれが起きるわけではありません。)
私にとっての真の喜びは、妻の役割の中にはない。
まずは先に、女として、女性としてのありのままの私を受け入れてほしかったし、
私の女性としての魅力を感じ取れる感性を身に着けてほしかった。
今やもう夫にそれを求めてはいない・・・。
まあ、これに関しては私自身が自分のことを魅力的だと心底思わないと、他者から魅力的だと思われることはないでしょう。外の現実は内面の反映なので。
妻の役割として受け入れられているのは確かにありがたいかもしれませんが、
それって「条件付き」です。
妻として、あれができること、これができること、
社会的に逸脱しておらず、枠の中におさまっていること
を求められる。
それって役だから演じることはできるんですが、役なので本来の私ではない・・・。
条件ではない、女として、女性としてというのは、ただそこにいるだけで喜んでもらえるということ。
そんなセクシャリティの欲求があるなあという気づきでした。
お読みくださりありがとうございました。
このテーマはまだ続く予定です。

